伊藤蘭と水谷豊の娘、趣里の本名は?バレエ挫折も、二世と言わせない演技力!

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2世タレント

こんにちは 😀

レクです。

 

元キャンディーズの伊藤蘭さんと
俳優の水谷豊さんの間には娘さんが
一人いらっしゃいますね。

出典

お名前は「趣里(しゅり)」さん

 

今二世タレントが多くて、何年か前の
トーク番組に趣里さんが登場した時は、

「またかぁ~」と半分飽き飽きして
いたのを思い出します。

 

 

しかし「親の七光り」を存分に
活用している二世タレントが多い中、

趣里さんはちょっと違うようなんですよね。

 

今回は、趣里さんについて調べて
みたいと思います。

趣里は苗字がないけど、本名は何?

出典

趣里さんは
1990年9月21日生まれ。

 

童顔なのでまだ高校生の役とか
出来そうですね。

 

2011年に『3年B組金八先生ファイナル〜
「最後の贈る言葉」4時間SP』で

女優デビューしましたが、実年齢より
5歳も若い生徒役を演じたのにも
関わらず、

何の違和感もありませんでした。

 

そして名前ですが「趣里」という
名前は珍しいですよね。

 

芸名かと思っていましたが、
本名でした。

 

お父さんの水谷豊さんが「趣き」
という言葉が好きだったので
名前に入れたんだそうです

 

そういえば、
お母さんの伊藤蘭さんの「蘭」という
名前も芸名みたいで素敵な
響きですが、

蘭の花が好きなお祖父さんが命名
したんだそうですよ。

 

名前って、
一番最初にもらえる親からの
プレゼントなんだなぁと
しみじみ思います。

 

苗字がない理由は、
水谷豊さん、伊藤蘭さん共に
ビックネームの苗字には抵抗が
あったんですかね。

 

親に頼りたくないという気持ち
= 自分は七光りではない

という強い意志の表れなんじゃ
ないかとも思いました。
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趣里は最初は女優を目指していなかった。

趣里さん6歳の初舞台の写真です。

出典

趣里さんは4歳の頃からバレエを
習っていて、将来はプロの
バレリーナを目指していました。

 

バレエ漬けの毎日をおくっていた
そうです。

 

練習の努力が実り、15歳の時に高校に
あがるタイミングで本場・イギリスの
バレエ学校にオーディションを受けて
見事合格しました。

 

夢のバレエ留学をしましたが、猛練習が
たたり、アキレス腱断裂ならびに
足首の剥離骨折の怪我に見舞われて
しまいます。

 

そして、医師から
「前みたいには踊れない」と告げられ
治療のため帰国することとなりました。

 

趣里さんは順風満帆な人生なのかと
思っていましたが、

志半ばにして 辛い挫折があったん
ですね。

 

バレエが出来ない事を受け入られず
泣く日々が続き、

死にたいとさえ思ったこともあったとか。

 

精神的に相当追い詰められていたん
ですね。

 

やりたいことが見つからないまま、
大検を取り大学に進学し、

就職活動やアルバイトもした
そうです。

 

そんな気持ちの中で、バレエの経験が
活きればと、軽い気持ちで参加した

塩屋俊さん主宰の演技学校
「アクターズクリニック」の
レッスンで演技の面白さに目覚めます。

 

しかし、女優になることを踏み
出せなかった趣里さん。

 

理由はもちろん・・・

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どうしても二世だと言われてしまうこと。

悩む趣里さんに塩谷さんは

ことあるごとに“趣里はそのままで
大丈夫だから頑張れ。
女優を続けていけ”

言い続けてくれたそうです。

 

趣里さんの心の支えになり、背中を
押してくれた塩谷さんですが、

2013年に56歳の若さで急逝して
しまいます。

 

今でも趣里さんは

「賞にノミネートされたり、いい役を頂けたときは必ず報告しています。自信を持たせてくれたのは塩屋さんですから、ことあるごとに報告しているんです。今も空から私の活躍を見てくれているはず」

と語っています。

 

趣里さんにとって塩谷さんは、
自信を付けさせてくれた恩師なんで
すね。

 

その後は、数多くの舞台や映画、
テレビドラマに出演し、

今では芝居の中でバレエを披露する
機会も増えてきたんだそうですよ。

 

そして趣里さんの凄いところは、
役の振り幅が広いということ。

 

舞台でアイドルの役や、死んだ
女子高生、

夫を殺そうとして牢屋に入っていた
役などなど・・・

 

地道に経験を積んでいる趣里さんを、
これからも応援していきたいと思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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