笠置シヅ子の娘の現在と吉本興業の関係、鶴瓶は隠し子!?死因は何だった?

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歌手

こんにちは、くるみです。

 

笠置シヅ子の芸能活動は1927年大正
時代から。

 

戦後「ブギの女王」と称賛された大歌
手であり、女優でもありました。

 

服部良一が作曲した「東京ブギウギ」
は空前の大ヒットとなり、

コミカルな動き、軽快なリズム、明る
く楽しいこの歌は、終戦を迎え荒んだ
日本人の心を元気にさせたのです。

 

そんな笠置シヅ子は1985年70歳で
この世を去りました。

 

没後35年となる笠置シヅ子について、
娘のこと、吉本興業との関係、

鶴瓶は隠し子の噂や、死因などを深掘り
します。

笠置シヅ子に娘はいるの?娘は現在何してる?

ここで先ず笠置シヅ子のプロフィー
ルや経歴を簡単に紹介しましょう。

 

笠置シヅ子は香川県出身の1914年
8月25日生まれです。

 

小学校を卒業して宝塚音楽学校を
受験し残念ながら不合格となりますが、
松竹楽劇部生徒養成所には見事合格。

出典

舞台での活躍からジャズシンガーを
経てブギの女王と呼ばれるほどに
なりました。

 

こうした華々しい芸能界での活躍の
裏に、後ほど詳しく紹介しますが

吉本興業の後継者とも言われた次男
と交際を始めるも結婚の承諾を得ら
れなかった事実がありました。

 

次男との間には娘が一人います。

 

笠置シヅ子の本名は亀井静子で、
娘の名前は亀井エイ子と言います。

 

分かっていることは1947年6月生
まれであること。

 

母親である笠置シヅ子についてイン
タビューに答えたりはしていたと
いうミニ情報はありますが、
現在の様子は全く不明です。

 

芸能の活動とは無縁だったという
ことでしょうか。

笠置シヅ子と吉本興業との関係は?

笠置シヅ子は戦時中のある舞台の
楽屋で、一人の男性と出会います。

 

笠置シヅ子よりも8歳年下でした。

 

なので最初は姉弟のような間柄でした
が、段々と恋愛へと発展して結婚を
誓い合う仲となっていったのです。

 

この男性が吉本興業の御曹司である
吉本頴右(エイスケ)ですが、
母親である吉本せいは猛反対でした。

 

吉本せいの心が軟化したのは
笠置シヅ子の妊娠がきっかけ。

 

吉本せい自身夫を亡くし一人で子供を
育てたという経験があるので、

笠置シヅ子が芸能界を引退するのなら
ば許すという条件を出したのです。

 

笠置シヅ子としても娘のためも
あり主婦に専念する意思を固め、

夫婦として認められるまでになり
ました。

 

このような中、吉本穎右は病に倒れ
1947年5月に結核で帰らぬ人に。

24歳という若さでした。

 

結局は入籍出来ないまま吉本せいが
娘を引き取るという話も断り、

笠置シヅ子はシングルマザーとして
娘を育てたのです。

 

芸能界を辞めるつもりでいた笠置
シヅ子は子供を育てるため歌手活動を
再開し、運命の楽曲「東京ブギウギ」
と出会います。

 

紅白歌合戦には4回出場を果たし
1956年には「ヘイ・ヘイ・ブギ」で
大トリを務めました。

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笑福亭鶴瓶は笠置シヅ子の隠し子?鶴瓶のネタになっていた!

笑福亭鶴瓶は笠置シヅ子と顔がそっ
くりということから、
笠置シヅ子の隠し子と話していた
そうです。

 

ネタとしてではありますが、もしか
したら信じた人も少なくなかった
かも知れません。

信じられないと言えばこんなお話を
発見。

 

ある日鶴瓶は看護師に、自分が務め
ていた病院で鶴瓶の母親の世話を
していましたと打ち明けられます。

 

鶴瓶の母親が入院した事実はありま
せんでした。

 

この入院していた母親と言うのが、
誰あろう笠置シヅ子だったのです。

出典

笠置シヅ子は自分で鶴瓶は自分の息子
であると話していたようで、
鶴瓶のネタを面白がっていたとのこと。

 

笠置シヅ子のユーモアのある気さくな
人柄が良く分かるエピソードです。

 

本当に笠置シヅ子と笑福亭鶴瓶は
そっくりですから。

 

ちなみに、二人に面識はありません。

笠置シヅ子の死因は何だった!?

笠置シヅ子は1985年3月30日、
卵巣がんにより亡くなりました。

 

今ですと70歳はまだまだ若いと言っ
ても過言ではないでしょう。

 

1981年に笠置シヅ子は乳がんを発症
しており、摘出手術に成功したものの

1983年には卵巣にがんが転移している
ことが発覚したのです。

 

ここからが闘病生活となる訳ですが、
亡くなったのが1985年ですから短か
ったということになります。

 

進行性のがんだったのかと推察。

出典

亡くなる前まで仕事をしていた笠置
シヅ子は、歌と踊りに限界を感じた
頃から歌はやめて

「家族そろって歌合戦」の審査員や
クイズ番組の回答者、カネヨ石鹸の
CMなどで活躍していました。

さいごに

笠置シヅ子の最期の言葉として、
病床で自分の役をしている研ナオコ
を見て「日劇時代は楽しかった」
と呟いたそうです。

 

歌を歌うことが好きな人は、きっと
最期まで歌い続けたいと思うはず。

 

笠置シヅ子も心の内はそうだったの
ではないでしょうか。

 

ですが、笠置シヅ子の歌は今も歌い
継がれていますし、

舞台でも笠置シヅ子の半生が取り上
げられています。

 

戦後の人々に元気と希望を与えた
笠置シヅ子は、今の時代にも観る
人の心にパワーを与え続けているのです。

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