柳美里の生い立ちや名前の由来、小説家になったきっかけは?東由多加との関係は? 

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こんにちは、有名人大好きの
サバ夫です。

2019年6月21日のNHK
「あさイチ」に
芥川賞作家の柳美里さんが
出演していました。

現在は福島県に住み
「フルハウス」という
書店を営んでいるんですね。

柳美里の選書の注文方法は?本屋フルハウスに行かないとダメなの?

柔和でステキな笑顔を見せて
いました。


出典

出演者に「印象が変わった」
と言われてましたが。

そうですよね。

サバ夫も「柔和」という言葉
を使いましたが。

以前は柳美里さんをハレモノの
ように見ていた人も
少なくないと思います。

壮絶な人生を送ってきた
柳美里さんが

私生活をさらけ出すような
作品の内容もそうですし。

執筆活動に関連した裁判を
起こしたり起こされたり
などトラブルがあったり。

論争になれば
相手が大江健三郎さんでも
一歩も引かない姿勢。

誰もマネできません。

漫画家の西原理恵子さんが
柳美里さんの創作活動を
「ストリッパー」
表現したことがあります。

言い得て妙…。

実際にそういう姿が表紙となった
本もありましたな。

「柳美里不幸全記録」
(新潮社)ですけど。

そんな柳美里さんの
プロフィールや生い立ちを
調べてみました。
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柳美里のプロフィール

柳美里さんは
1968年6月22日生まれ。

出身は神奈川県横浜市です。


出典

高校は横浜共立学園に
進学しましたが退学。

1984年にミュージカル劇団の
東京キッドブラザーズに入り、
女優として活動します。

東京キッドブラザーズといえば
柴田恭兵さんを輩出
したことで知られています。

1987年には劇団
「青春五月党」を旗揚げ。

劇作家として、
1993年に「魚の祭」で
岸田國士戯曲賞を最年少で受賞
しました。

1994年に初の小説
「石に泳ぐ魚」(新潮社)を発表。

小説家としての活動が
本格的になると、

1996年に「フルハウス」
(文藝春秋)で泉鏡花文学賞
野間文芸新人賞を受賞。

1997年には「家族シネマ」
(講談社)で芥川賞作家となり

文才の華を咲かせて現在に
至ります。

写真は受賞が決まった時のもの。

柳美里さんは
シングルマザーで、

長男の丈陽さんは北海道の
東農大オホーツクキャンパス
に通う大学生。

サバ夫は北海道住みなので
わかりますが、
大学周辺は漁業が盛ん。

漁場でアルバイトをして学費や
部活費用を稼ぐ学生もいる
ようで。

柳美里さんが書いた新聞のコラムを
読むと、引っ越しの時、

タクシー運転手にそのバイトを
勧められたのだとか。

丈陽さんにはぜひ
我が北海道での生活を楽しんで
もらえればと思います。
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柳美里の生い立ちは?

柳美里さんは在日韓国人の
家庭に生まれました。

柳美里さんの作品は
「家族」「死」をテーマにした
ものが多く、

それは育った家庭環境が
大きく影響していると
思われます。


出典

父はパチンコ店の釘師。

母はキャバレー勤めで、
どうやら家庭内暴力を
受けていたよう。

小学生の時に
父に殴られ鼻を骨折。

母には鼓膜を破られた
ということも…。

そして父と不仲になった母は、
店で知り合った男性と
家を出ていきます。

この出来事は柳美里さんの
小学校の卒業式直前
だったそうで…。

しんどすぎますね。

柳美里さんは少女時代、
グループ行動が苦手で

いじめにあったり、自殺を試みた
こともあったそう。

高校生になってからは
家出を繰り返すようになり
学校を退学になりますが。

家庭環境を考えると柳美里さんが
現在、しっかりと生きている
だけでも

頑張ったね、と声をかけたく
なります。

柳美里の名前の由来は?

柳美里さんの「美里」
の名前は母方の祖父、

梁任得(ヤン・イムドク)さんが
考えたとか。

在日韓国人は日本名を
使っている人もいますが、

韓国でも日本でも違和感の
ない名前をという配慮があった
よう。

弟2人と妹も
春樹、愛里、冬逢と日本名でも
違和感がありません。

梁任得さんは終戦後に渡日。

パチンコ店を経営していますが、
若い頃はマラソン選手。

1936年ベルリン五輪
の金メダリスト、孫基禎さんの
ライバルだったそう。

柳美里さんは孫基禎さんの
生前に韓国に向かい、

自分でその事実を確認しています。

孫基禎さんも韓国人ですが
当時は日本が支配しており、

メダルも日本代表として
獲得したものでした。


出典

柳美里さんはこれまで怒りを
発してトラブルが起きていた
ことについて

「韓国の血ではないか
と思うことがある」

と著したことがあります。

それ以前、
芥川賞を受賞した時には

「自分は日本人でも
韓国人でもない」
と発言していましたが、

その後の取材などを通じて
アイデンティティに対する
意識は高まっていった
のかもしれません。
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柳美里が小説家になったきっかけは?

東京キッドブラザーズでは
当初、女優として活動していた
柳美里さん。

劇団主宰の東由多加さんに
「演じるより書きなさい」
と執筆を勧められたのが
きっかけになります。

東由多加さんとの関係は
次の項目で触れますが

作品の構成などは
東由多加さんからの影響や

アドバイスがかなりの比重を
占めていたよう。

ただ、柳美里さん自身も、
小学生の時の文集には

「小説家になる」
と書いているので、そういう
夢はあったんですね。

子どもの頃からつらいことや
苦しい目に遭ったことは
全て日記に記しており。

そこで文章力は
磨かれていたのですね。

ネットを見ると嫌いな作家として
柳美里さんの名前を上げる人も
少なくないようですが。


出典

サバ夫は嫌いではないけど
読んでて辛くなることがあります。

柳美里さんの生い立ちを知ると
子供のころに出来た心の隙間を
大急ぎで埋めてる感じ。

そしてサバ夫が普段、
目を背けているものが
これほどあるということを。

何か柳美里さんに
突きつけられているような
気がするんですよね。

あまり、いないですよね。
柳美里さんのような作家。

アンチがいるということは
変わりが利かない人物である
証拠とも言えると思います。
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柳美里と東由多加の関係は?

柳美里と東由多加さんは
柳さんが東京キッドブラザーズ
に入団してまもなく
男女関係になったようです。

東由多加さんは23歳年上。


出典

高校を退学となった柳美里さんは
強い動機はなかったそうですが

東京キッドブラザーズの
オーディションを受けて合格。

怒る演技が評価を集め、
東由多加さんからは
「知られたくないマイナス
のことも演技ではプラスになる。
それはあなたの才能」

柳美里さんの生い立ちを
知った上で言葉をかけてくれたそう。

柳美里さんの
インタビューによると

16歳から30歳くらいまで
一緒の生活をしていたとのこと。

それでも仕事のパートナー
でもあり、関係が
途切れることはなかったようで。

東由多加さんはガンで
2000年に亡くなっていますが

柳美里さんが東さん目線で
書いた小説「黒」(扶桑社)。

柳美里さんはその頃のことを
全てさらけ出すかのように
著しています。

長男の丈陽さんの父親も
東由多加さんではなく、
違う不倫相手との子供。

ちなみに東由多加さんも
相当女性関係が派手だったように
描かれています。

柳美里さんも妊…。

もう、やめとこ。

これもサバ夫にとっては
読んでて辛い小説でした。

気になる方はぜひ
ご一読ください。

まあ、もしサバ夫が
東由多加さんのそばにいたら

「あなたは女性の敵だ!」
と猛烈に避難したと思う。

そして、もしサバ夫が
柳美里さんの身内だったら
「もっと自分を大事にしろ!」
と説教すると思う。

サバ夫のような
鈍感オヤジでも怒りというか
混乱させられるというか、

言いようのない気持ちに
させてくれる読み物って…。

やっぱり柳美里さんは
無二の作家だと思うわけであります。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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