こんにちは 😀
レクです。
元キャンディーズの伊藤蘭さんと俳優の水谷豊さんの間には娘さんが一人いらっしゃいますね。
出典
お名前は「趣里(しゅり)」さん
今二世タレントが多くて、何年か前のトーク番組に趣里さんが登場した時は、
「またかぁ~」と半分飽き飽きしていたのを思い出します。
しかし「親の七光り」を存分に活用している二世タレントが多い中、趣里さんはちょっと違うようなんですよね。
今回は、趣里さんについて調べてみたいと思います。
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趣里さんは苗字がないけど、本名は何?
趣里さんは 1990年9月21日生まれの27歳です。
童顔なのでまだ高校生の役とか出来そうですね。
そう言えば、2011年に『3年B組金八先生ファイナル〜「最後の贈る言葉」4時間SP』で女優デビューしましたが、実年齢より5歳も若い生徒役を演じたのにも関わらず、何の違和感もありませんでした。
そして名前ですが「趣里」という名前は珍しいですよね。
芸名かと思っていましたが、本名でした。
お父さんの水谷豊さんが「趣き」という言葉が好きだったので名前に入れたんだそうです
そういえば、お母さんの伊藤蘭さんの「蘭」という名前も芸名みたいで素敵な響きですが、蘭の花が好きなお祖父さんが命名したんだそうですよ。
名前って、一番最初にもらえる親からのプレゼントなんだなぁとしみじみ思います。
苗字がない理由は、水谷豊さん、伊藤蘭さん共にビックネームの苗字には抵抗があったんですかね。
親に頼りたくないという気持ち = 自分は七光りではないという強い意志の表れなんじゃないかとも思いました。
趣里さんは最初は女優を目指していなかった。
趣里さん6歳の初舞台の写真です。
趣里さんは4歳の頃からバレエを習っていて、将来はプロのバレリーナを目指していました。
バレエ漬けの毎日をおくっていたそうです。
練習の努力が実り、15歳の時に高校にあがるタイミングで本場・イギリスのバレエ学校にオーディションを受けて見事合格しました。
夢のバレエ留学をしましたが、猛練習がたたりアキレス腱断裂ならびに足首の剥離骨折の怪我に見舞われてしまいます。
そして、医師から「前みたいには踊れない」と告げられ治療のため帰国することとなりました。
趣里さんは順風満帆な人生なのかと思っていましたが、志半ばにして 辛い挫折があったんですね。
バレエが出来ない事を受け入られず泣く日々が続き、死にたいとさえ思ったこともあったとか。
精神的に相当追い詰められていたんですね。
やりたいことが見つからないまま、大検を取り大学に進学し、就職活動やアルバイトもしたそうです。
そんな気持ちの中で、バレエの経験が活きればと軽い気持ちで参加した塩屋俊さん主宰の演技学校「アクターズクリニック」のレッスンで演技の面白さに目覚めます。
しかし、女優になることを踏み出せなかった趣里さん。
理由はもちろん・・・
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どうしても二世だと言われてしまうこと。
悩む趣里さんに塩谷さんは
ことあるごとに“趣里はそのままで大丈夫だから頑張れ。女優を続けていけ”と言い続けてくれたそうです。
趣里さんの心の支えになり、背中を押してくれた塩谷さんですが、2013年に56歳の若さで急逝してしまいます。
今でも趣里さんは
「賞にノミネートされたり、いい役を頂けたときは必ず報告しています。自信を持たせてくれたのは塩屋さんですから、ことあるごとに報告しているんです。今も空から私の活躍を見てくれているはず」
と語っています。
趣里さんにとって塩谷さんは、自信を付けさせてくれた恩師なんですね。
その後は、数多くの舞台や映画、テレビドラマに出演し、今では芝居の中でバレエを披露する機会も増えてきたんだそうですよ。
そして趣里さんの凄いところは、役の振り幅が広いということ。
舞台でアイドルの役や、死んだ女子高生、夫を殺そうとして牢屋に入っていた役などなど・・・
地道に経験を積んでいる趣里さんを、これからも応援していきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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