川原俊夫(ふくや創業者)の息子や妻は?孫が社長でケーキ店も好評!【アンビリバボー】

男性著名人

こんにちは 🙂

レクです。

5月31日放送の
『奇跡体験!アンビリバボー』で、

川原俊夫さんの仰天人生が
特集されます。

川原俊夫さん?

ピンときませんよね。

博多の名物といえば明太子。

「ふくや」を筆頭とし、

「やまや」や「かねふく」「島本」
など、福岡には名店が数多くあります。

その明太子を発明し、惜しみなく
製法を教え広めたのが

「ふくや」創業者である、
川原俊夫さんです。

今回は・・・

①川原俊夫さんのwikiや経歴

②川原俊夫さんの息子さんのこと。

③「やまや」の社長は孫の川原武浩さん!

④「やまや」は明太子だけじゃない!
実はケーキショップも好評!

について調べてみたいと思います。

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川原俊夫さんと「ふくや」のwikiや経歴は?


出典

川原俊夫さんは1913年生まれで、
お隣の国韓国釜山で育ち。

妻の千鶴子さんと共に暮らしていました。

しかし戦争の為俊夫さんは沖縄戦へ。

終戦後、妻の千鶴子さんは3歳の
息子を連れて満州から引き揚げます。

俊夫さんも命からがら福岡に
帰国することができ

2年ぶりに家族再会を果たします。

最初のうちは俊夫さんの兄の家で
お世話になっていたそうですが、

そう長くお世話になっても
いられないと、

ちょうど中州市場で出店募集の
チラシを見つけ、

1948年に15坪の小さなお店
「ふくや」を創業しました。

その後、2人が戦前釜山で
毎日食べていたタラコ(明太子)の
味が忘れられず、

再現することを思いつきます。

最初は、自分たちが食卓で
食べるために作り始めたそうですが、

同じ韓国や中国からの引揚者の方に
おすそ分けするようになり

「懐かしい」「おいしかった」と
好評だったため、

少しずつ改良を重ね1949年1月10日に
販売に至りました。

後にこの日は「明太子の日」として
認定されます。

ところが翌日「辛すぎる!!」と
大クレームが!

博多の人は辛子の味に慣れておらず、
韓国と同じ味では辛すぎて
食べられなかったんだとか。

仕方がないので買った人は唐辛子を
洗って、

焼いてなんとか食べていたそうです。

どれだけ辛かったんでしょうね。

ちなみに、
2012年、この創業当時の
“辛すぎる”明太子を再現し

「辛皇 ホットエンペラー」という
名称で発売したことがあったんだ
そうです。

通常の明太子の13.5倍もの辛さに
仕上げたこの商品は、

注文が相次ぎ、2万個以上
売れたんだとか。

激辛ブームなんていうのも
あったくらいですから、

時代が変われば、味覚も変わるの
かも知れないですね。

と、話はそれましたが、
記念すべき明太子第一号が
大クレームで終わりましたが、

川原俊夫さんはめげずに改良を
重ねたそうです。

日本人の口に合う明太子の味を
追求した結果、

徐々に口コミで知名度を上げ、
売れるまでに約10年の月日が
掛ったと言います。

そして昭和51年の博多への新幹線
乗り入れを機に、

博多のお土産として全国区へ飛躍した
のでした。

博多名物と言えば明太子と言われる
までに知名度を上げたのには
ある理由がありました。

それは、「ふくや」創業者の
川原俊夫さんは、

明太子のレシピを惜しげもなく
広めていたということ。

10年もかけ苦労して作ったレシピを
秘伝のものとせず、

特許も取らずに同業者に分け与えた
のです。

その結果、多くの明太子のお店が
福岡に出来ました。

「ふくや」だけが独占していたら、
ここまで広まらなかったはずです。

それにしても俊夫さん、
器が大きすぎますね。

川原俊夫さんが亡くなった時に
中州には延命地蔵が作られました。

川原俊夫さんは68歳という若さで
亡くなりましたが、

明太子の歴史はいつまでも続いて
欲しいという願いが込められている
そうです。

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川原俊夫さんの息子や長男の現在は?

川原俊夫さんには息子さんが2人
いらっしゃいます。

 川原健さん 


出典

1943年に満州で生まれます。

成績優秀だったんですね。

大学は慶應義塾大学に進学されました。

卒業後は実家福岡に戻り、
福岡相互銀行(現・西日本シティ銀行)
に入行します。

ところが昭和54年の夏、突然お父様の
俊夫さんから「ふくや」と手伝って
ほしいという話がありました。

というのは、俊夫さんは当時67歳で
胃潰瘍を患い体調が悪かったそうです。

残念ながらお父様は翌年亡くなって
しまいます。

19年間で支店長を2回、
部長を経験された健さんは、

これならやれると自信を付け、

地元に恩返しがしたいと1984年1月、
「ふくや」の専務に就任し、

1994年には社長、1997年には会長に
就任します。

現在は、息子の川原武浩さんが社長を
務め、

川原健さんは相談役として
「ふくや」を支えています。

 川原正孝さん 


出典

1950年3月18日に福岡県福岡市で
生まれます。

福岡の高校を卒業後、甲南大学へ
進学。

大学では、趣味の空手とアルバイトに
明け暮れ勉強はしなかったそうです。

この時代は景気が良く大手の会社に
入るのは容易な時代でしたが、

正孝さんはアルバイト先で
そのまま働くつもりでいたそうです。

心配したお母様の千鶴子さんは、
お兄様の健さんが勤める

福岡相互銀行(現・西日本シティ銀行)
で面接を受けられるよう手配しますが、

面接時に坊主頭にサングラスで
登場した正孝さん。

面接の結果はさんざんでしたが、
お兄様の信頼がよっぽど厚かったのか、
無事入行することができたそうです。

一見破天荒な性格の正孝さんですが、
営業成績は常にトップクラス。

本店営業部の部長代理にまで
上り詰めました。

お父様の俊夫さんが体調を壊し
家業を手伝ってほしいという話に
なった時に、

真っ先に銀行を退職したのは正孝さんの
方でした。

お兄さんの健さんは大名支店の支店長を
されていて、

すぐには辞めることはできないので、
兄弟間で何かあったら先に正孝さんが
戻るという約束をしていたそうです。

川原家の兄弟はよくあるお家騒動とは
無縁な仲の良いご兄弟でした。

★こちらのご兄弟とは違って仲が良いんです。

一澤信三郎帆布の長男の信太郎の現在とお家騒動のその後は?

しかし残念なことに、正孝さんが
「ふくや」に入社して9か月後、

昭和55年7月にお父様の俊夫さんは
亡くなってしまいます。

正孝さんはその後、個人事業主だった
「ふくや」を法人化し、

生ぬるかった社員教育も徹底。

売り上げをグングン伸ばし、
兄の健さんが入社した1989年の
売上高は、

正孝さんが継いだ当時の3倍の
60億円にも達していたそうです。

正孝さんは兄の健さんが専務、社長、
会長になると同時に

常務、副社長を経て社長へ就任
されました。

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「ふくや」の現在の社長は孫の川原武浩さん


出典

「ふくや」の現在の社長は、
川原俊夫さんの孫にあたる

川原武浩さんが引き継いでいます。

川原武浩さんは川原健さんの
息子さんで

國學院大學法学部を卒業後、

2004年4月に「ふくや」に入社
しました。

その後、取締役統括本部長、
副社長を経て

2017年4月1日に社長に就任して
います。

現在46歳ということですから、
まだお若い社長さんなんですね。

川原武浩社長曰く、社長は10年で
バトンタッチして、

世襲制は自分が最後だとおっしゃって
います。

「ふくや」に新しい風を起こすべく、
川原武浩社長は、

無添加明太子や、減塩明太子など
時代のニーズに合わせた新商品開発を
行い、

絶えず商品を進化させる努力を
されています。

伝統を守りながらも様々な商品への
挑戦を続けているんですね。

「やまや」は明太子だけじゃない!実はケーキショップも好評!

川原武浩社長の新たな挑戦として
始めたのが、

中州の「ふくや」本店に
ほど近い場所にある

ケーキショップ「ufu」

明太子の購買層が50歳代と高めの為、
幅広い年齢層に興味を持って

もらおうと思って始めたそうです。

「ufu」の開店時間は午後5時。

家庭へのお土産用や、

クラブのホステスさんへといった
需要を引き出しました。

全長55.5cmの中州ロールも
ヒットし、

経営は順調なようですよ。


出典

【所在地】
福岡県福岡市博多区中洲3-4-10
中州Uビル1F

【電話】092-263-5774

【営業時間】

月~土:17:00~翌2:00

日・祝:17:00~24:00

日曜営業

飲んだ帰りにほろ酔い気分で、
つい寄ってしまいそうですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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