八名信夫は結婚してた?息子は?青汁や悪役商会は?映画監督!?
からの続きです。
こんにちは、くるみです。
2020年7月6日からNHK朝ドラ
「純情きらり」が再放送されています。
八名信夫が出演しており、悪役商会でも
お馴染みなので悪役かと思いきや、
頑固ではありますが商売熱心なヒロイン
の祖父役を演じました。
さて、八名信夫に注目するとこれまでの
道のりが明らかになっていきます。
今回は生い立ちや岡山での戦争体験に
ついて深堀してまいりましょう。
目次
八名信夫の生い立ちは?野球少年だった!?
八名信夫は岡山県岡山市出身の1935年
8月19日生まれです。
八名信夫と家族は、父親の仕事の関係
で駅近くの官舎に住んでいました。
終戦後疎開先で進駐軍の兵士たちが
キャッチボールをしているのを見て、
野球に興味を持った八名信夫。
当時母親が座布団に軍手を縫い付けて
四角いグローブ、
サツマイモを芯にして数枚の軍手を
かぶせたボールを作ってくれたそうです。
岡山県立岡山東商業高校に進学し、
当初は一塁手でしたがピッチャーに
変更。
甲子園出場はないものの、中国大会
県予選では決勝に進出。
先発となり見事に投げ勝ち優勝を
果たし、本大会へ駒を進めました。
神宮球場で明治大学の試合を観戦した
ことで進学先が決まり、
明治大学へ入学するも先輩部員からの
しごきに耐えかねて中退しています。
八名信夫が中退するほどですから相当
だったに違いありません。
そして、1956年東映フライヤーズの
ピッチャーとしてプロ野球球団に入団
します。
八名信夫の父親の職業は何?
八名信夫の父親である亀億(ひさお)は、
国鉄岡山駅、現在のJR西日本岡山駅の
助役を務めていました。
終戦後に退職した後は、劇場を建て
映画や芝居の興行経営を始めます。
当時娯楽は劇場くらいしかなく
大盛況だったそうです。
テニス選手だったという父親は
八名信夫のプロ野球入りには賛成
しましたが、
続いて役者になることには反対した
そうです。
東映フライヤーズの岡山キャンプの
際には援助もしていた父親は、
八名信夫23歳の時に肝臓がんで逝去
しています。
長生きしていたならば悪役商会で活躍
する息子の姿を見れたのではないで
しょうか。
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岡山空襲での体験を赤裸々に告白!岡山空襲とは?
戦争を体験する中で壮絶だったのが
岡山空襲での体験と八名信夫は話し
ます。
ここからはヤフーニュースで語った
岡山空襲をお届けしましょう。
同級生を見捨ててしまった慚愧の思い
1945年6月29日の午前2時半過ぎ、
家族と一緒に寝ていたら爆音と共に
地響きがして蚊帳が落ちてしまいます。
父親が空襲だと叫び外を見ると、
真っ赤な火の海だったとのこと。
焼夷弾のヒューという不気味な落下音
は今も耳に残ると話しており、
戦争映画や昭和の戦争時の映画、ドラマ
でも焼夷弾が落とされるシーンでのあの
ヒューという音は、
戦争を知らない世代でもイヤな音と
感じます。
米軍のB29が何度も岡山上空を通っては
いましたが、
それまで爆撃はなく警報が出ては集団
下校し解除で学校に戻る繰り返しだった
そうです。
そんな状況での突然の爆撃。官舎の下
に防空壕が作られていて、
咄嗟に母親はそこに入ろうとしました
が父親が制止します。
とにかく外へ出ろと。
後から分かったことは防空壕に避難
した多くが亡くなっていて、
父親の判断は正しかったとも話して
います。
外へ飛び出した八名信夫は、同級生が
家から這い出してくる光景を目の
当たりにしました。
何にしても煙と炎で前が見えず、母親
から手を引っ張られ逃げ惑う中で
同級生を踏んでいたかも知れない、
何も出来ず見捨ててしまったとも語っ
ています。
まさに地獄絵図のような状況だったの
ではないでしょうか。
岡山空襲での被害状況
父親は岡山駅を守るため自分は駅に
行くから、家族みんなは後楽園の方に
逃げろと指示しました。
この時空襲警報は発令されておらず、
米軍のB29は138機に上ります。
市街地の6割強が焼け野原となって
いました。
焼夷弾はおよそ9万5千発、死者は
1700人以上、負傷者は6000人以上、
被災者は10万人を超えていたとも
言われています。
(具体的な数字に関しては岡山空襲
展示室から学芸員の話や資料を参考)
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九死に一生を得た八名信夫!
八名信夫は逃げている内に家族と
はぐれてしまい、
気が付くと朝方で田んぼの中にいた
そうです。
激痛で目が覚め地元の消防団に見つけ
られ、生きてるぞとなったとのこと。
焼死体を集めていたらしく、八名信夫
はこの時九死に一生を得たことになり
ます。
また、用水路には川の水が流れない
ほどの死体が折り重なっていたのです。
家族も無事だったことが八名信夫に
とって救いでした。
さいごに
八名信夫は壮絶な戦争体験から、
今だからこそとメディアで語って
います。
朝日新聞デジタルのインタビューに
応えて、戦争ほど恐ろしいものは
ないと断言。
人間の性格、魂、気持ちまで消す
「魔の消しゴム」だと語気を強めた
のです。
地震よりも怖いとも話し、悲惨な
出来事を繰り返してはいけないと
訴えます。
八名信夫は若い世代に伝える使命が
あると、これからも戦争体験を語り
続けることでしょう。
八名信夫は心不全で死亡!?日テレで故人扱いされていた!大腸がんだった!?
に続きます。

猫とうさぎが大好きで、日々癒されています。
猫ブームやうさぎ島が話題となっていたことを心から嬉しく思ったのでありました。
こんな動物好きのくるみを宜しくお願い致します。
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