鈴木登紀子の自宅の料理教室はどこ?夫がイケメン!娘も料理研究家?

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女性著名人

こんにちは。

自分で作った肴をつまみに呑んでる
時間が三度のメシより好きな
かのんです!

 

料理好きな私は、
テレビの料理番組も大好き。

 

レパートリーの中でも、
My殿堂入りしたレシピの多くは
料理番組を参考にしています。

 

まあ、
私が建てた殿堂に入ったところで
誰も喜ばないでしょうが…。

 

さて、
料理番組に出演する先生の中でも、
最高齢の料理研究家
ご存知ですか?

 

大正生まれの94歳!
“ばあば”こと鈴木登紀子さんこそが
そのお方。

 

NHK『きょうの料理』をはじめ
多くの番組で、家庭料理と和食の

心を伝える可愛らしい
おばあちゃまです。

 

今回は、最高齢の料理研究家
“鈴木登紀子ばあば”のことを
あれこれ調べてみました!

鈴木登紀子のプロフィールと経歴は?


出典

 

鈴木登紀子ばあばが生まれたのは
1924年(大正13年)年11月。

関東大震災の翌年です!

 

ご出身は青森県八戸市。

 

22歳の時に5歳年上のご主人
結婚し、これを機に上京しました。

 

3人のお子さんに恵まれ、
専業主婦として家事と育児に
専念していた登紀子ばあば。

 

そんな平凡な主婦が料理研究家に
なったのは、

なんとも自然な“導き”があった
ようです。

 

3人のお子さんが幼い頃、ご近所の
庭に勝手に入って
遊んでしまうことがありました。

 

その家に住んでいたのは、
足が不自由なお年寄りの女性。

 

つねづね申しわけないと思っていた
鈴木登紀子ばあばは、
ある年の大晦日、

おせち料理とバラの花を一輪持って
お詫びに行ったそうです。

 

すると女性はおせちの味に大感激!

 

金沢出身だったことから、
鈴木登紀子ばあばに金沢の郷土料理を
手ほどきしてくれたそうです。

 

こうしてご近所で料理の腕が
評判になっていくと同時に、

料理の知識も増やしていった
鈴木登紀子ばあば。

 

また、登紀子ばあばの家には親しい
ママさんたちがよく集まりました。

 

そこでふるまう料理がこれまた
大評判。

 

「教えてほしい」
という声から自然に料理教室が
始まり、

評判は評判を呼び、やがてその腕前は
メディアの知るところに。

 

こうして46歳にして料理研究家
としてデビューし、

53歳で初のテレビ出演
果たしたのです!

 

きっかけはママ友とのランチ会
だなんて、

これはもう、成るべくして成った
としか言いようのない料理研究家へ
の道。

 

でも思うのです。

 

登紀子ばあばが“料理上手”なだけ
だったら、

料理研究家への扉はひらいて
なかったと。

 

料理と共に教えてくれる食事の作法や
もてなしの流儀、

そういった“和食の心”
人の心を打ち、

教えを求められてきたのでは
ないでしょうか。

 

さて、そんな登紀子ばあばの
教えを、

直に聞けるチャンスがあるんです!
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鈴木登紀子の自宅の料理教室はどこ?

登紀子ばあばは現在も、
月に10日間の料理教室をひらいて
います。

 

かつては東京・田園調布の自宅
教えていましたが、

ご主人を亡くされたあと
東京・吉祥寺にある次女の
安藤久美子さんのお宅で
同居を始め、

こちらで一緒に料理教室をされて
います。

 

住所は、
東京都武蔵野市吉祥寺南町

最寄り駅は、
井の頭線吉祥寺駅から徒歩5分の
場所にあるそうです。

 

詳しい住所は分かりませんでしたが
レッスンを申し込んだ生徒さんには
伝えているのでしょう。

 

申し込み方法は、
「登紀子ばぁばと
安藤久美子料理教室のブログ」
(https://baabakumi.exblog.jp/)
内に記載されていました。

 

直接メールで問い合わせる方法でした。

kumi-5060.barbi-pink@ezweb.ne.jp

 

ちなみに、料理教室と言っても、
生徒さんたちは
料理を一切しません!

 

最初に手書きの献立表が配られ、
あとは登紀子ばあばが料理する
手元を見て、

完成したお料理をいただくだけ。


出典

これって、登紀子ばあばの料理を
楽しむためのイベントじゃ…?

 

実際、
月に1度の癒しの時間です!

と料理を堪能するためだけに来る
生徒さんもいるとか。

 

包丁を握らない料理教室にしている
理由を、

鈴木登紀子ばあばはこう説明して
います。

 

“皆さんで作ると、積極的な
方と
遠慮がちな方と分かれて
不公平でしょ”

 

う~ん、この徹底した
「おもてなしの心」
感服です!

 

今や北海道から九州まで、
全国各地から多くの女性たちが
集いますが、

その始まりは近所のママ友たちに
向けた料理教室。

 

そしてその料理教室ができたのも、
ご主人の理解あってのものでした。
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鈴木登紀子の夫はイケメン!

5歳年上のご主人、
清佐(きよすけ)さんとは、
青森でお見合い結婚

 

初めて会った時のご主人の印象は、
「かっこいい」だったそうです。

 

その当時のお写真がこちら。


出典

はい、カッコイイです確かに!

 

清佐さんはとっても無口な方で、
登紀子ばあばが自宅で料理教室を
始めたときも

何も口出しはしなかったと言います。

 

そして1970年、雑誌に料理が
掲載されることになり、

そのことを登紀子ばあばが伝えると、
ご主人の返事は

「そうかい」

 

雑誌の料理が大評判となり、
ついにはNHK「きょうの料理」に
出演のオファーがきたときも

ご主人の返事は

「そうかい」

 

夫の「そうかい」は、
登紀子ばあばにとっては励ましの
言葉でもあったと言います。

 

う~ん…
夫婦の間では通じ合うものが
あったのかもしれませんが、

他人からしてみると、口に出さない
だけで心の中は不満だったん
じゃないか…、

そんな心配をしてしまいますよね。

 

ところが亡くなる数年前のこと。

 

娘さんに付き添われ病院に
通っていた清佐さんが、

「見てくださいよ」と知人女性に
言いました。

 

待合室のテレビに映っていたのは
料理番組に出ている
鈴木登紀子ばあば。

 

「あれうちの女房なんですよ、
すごいでしょ」

と自慢したとか。

 

ご主人も、鈴木登紀子ばあばの
活躍を誇らしく思っていたんですね。

 

なんともジ~ンとくる話です…。

 

その清佐さんも2007年に
91歳で他界。

 

自宅でご主人を看取った
鈴木登紀子ばあばは、

田園調布の自宅で一人暮らしと
なりました。

 

最初の1年間はパパのいない食卓は悲しくて悲しくて、ひとりで食事はできなかった。

お仏壇にご飯をそなえて、パパの遺影に話しかけながら食事をいただいていました。

 

こんなふうに語っています。

 

そして5年前からは、
娘の久美子さん一家と吉祥寺で同居を
始めました。

 

その久美子さん、
母の登紀子ばあばと同じ道を
歩んでいらっしゃいます。
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鈴木登紀子の娘も料理研究家!

登紀子ばあばのお子さんは
3人いらっしゃいますが、
末っ子の久美子さんは

料理研究家として活躍中で、
自ら料理教室も主宰しています。


出典

久美子さんは高校時代から
鈴木登紀子ばあばのアシスタントを
務めていたそうで、

つまり最も登紀子ばあばの精神を
色濃く受け継いでいる人物!

 

料理教室でも、登紀子ばあばに
教わった和食を中心に教えている
そうです。

 

今は料理をするのも仕事の時だけと
決めているという登紀子ばあば。

 

娘の久美子さんが栄養バランスを
考えて作ってくれる朝ごはんが
毎朝の楽しみだそうです。

 

そんなある日の朝食がこちら。


出典

ホテルなの?
ホテルの朝食なの?!
というクオリティ!

 

まあ、ワタクシならここに
ビールのトマトジュース割りを
添えたいなぁ…。

 

普段の料理は久美子さんに任せ、
お料理教室がある日は朝から
夕方まで働き、

仕事がない日は大好きな
海外ドラマを観てゆっくり過ごす。

 

そんな日々を送っている登紀子ばあば。

この年まで生きてますと、もう「こうしなくてはならない」というのはないの。

無理はせず、何事もほどほどに楽しむ気持ちで過ごしたいと思うのです。

 

と語っています。

いやいや94歳ですよ?

 

“ほどほどに楽しむ”という
アクティブさをお持ちなのが

素晴らしいじゃありませんか!
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さいごに

NHK「きょうの料理」の
おせち特集での出来事。

 

撮影は登紀子ばあばの自宅で
おこなわれていました。

 

おせちを習っていた
女性アナウンサーがお箸を持って
試食したところ…

『お椀の取り方が悪い!』
『お箸の持ち方が悪い!』

なんと登紀子ばあば、お説教を
始めてしまったのです。

 

これをそのまま放送したところ、
その年の年間視聴率ナンバーワンに!

 

翌年にも再放送したところ、
やっぱり高視聴率だったそうです。

 

料理のレシピが知りたいだけなら、
正直なところ料理番組より

料理動画アプリのほうが手軽で
便利です。

 

手元だけのアングルで、切り方や
火加減もわかりやすいですしね。

 

でも、鈴木登紀子ばあばがテレビの
中から教えてくれるのは、

レシピだけではありません。

 

日本人が食に託してきた思いや文化、
時にはお説教をまじえての礼儀や作法、

そして何より料理で人をもてなす喜び。

 

そう、
すべては『和食の心』です。

 


出典

“食べることは生きること”

そう語る登紀子ばあばが
教えてくれるのは、

心を充実させるためのレシピ。

 

それはまさに
「幸せのレシピ」
と言えるかもしれませんね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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