佐藤愛子の娘や孫も凄い人!?夫の借金で偽装離婚!?兄はサトウハチロー!

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女性著名人

こんにちは。有名人大好きの
サバ夫です。

 

2016年に小学館から出版された
「九十歳。何がめでたい」
がベストセラーとなり、

90歳を過ぎても現役をアピールした
小説家の佐藤愛子さん。

 

2019年にも新刊の
「気がつけば、終着駅」
(中央公論新社)を発表。

佐藤愛子さんは1923年11月5日
生まれの96歳。

文壇には1歳上の瀬戸内寂聴さんも
いますが、そのお元気ぶりは本当に
すごいの一言です。

 

▼瀬戸内寂聴の秘書は超美人!▼

 

しかも、
佐藤愛子さんは決しておだやかな
人生を送ってきたのではなく、
家庭環境が複雑な中で育ち。

夫が背負った借金の肩代わりで
不眠不休で働いていた時期も
あったそうで。

 

佐藤愛子さんの著作の中身にも
大きく関わっているご家族について
今回は調べを進めてみました。

佐藤愛子の娘や孫も凄い人!?

佐藤愛子さんは小説だけではなく、
日常の生活をユーモラスに描いた
エッセイの「娘と私」シリーズが
人気です。

 

中でも有名なのは
「娘と私のアホ旅行」
(1980年、集英社)でしょうか。

 

佐藤愛子さんは飛行機嫌いで
海外取材は断っていたそうですが

出版社から執拗に誘われ、娘同行で
イヤイヤ外国への取材旅行へ。

 

その珍道中を描いたもので1989年には
TBSで有馬稲子さんが佐藤愛子さん役
を務め、ドラマ化もされています。

 

エッセイの中に登場する娘さんとは
現在、作家やブログ執筆などで
活動している杉山響子さんです。

 

響子さんは1960年生まれ。

1988年にミュージシャンで
ジュエリーデザイナーでもある
杉山弘幸さんと結婚して
杉山姓となりました。

出典

ユーチューブに杉山響子さんが
出演している動画がありました。

 

中央が杉山響子さんで左がご主人の
杉山弘幸さんです。

 

作家や漫画家の方の作品は家族ネタも
よく見ますが。

佐藤愛子さんは杉山響子さんの娘の
杉山桃子さんも作品に登場させて
います。

 

「孫と私の小さな歴史」
(1994年、学習研究社)では

杉山桃子さんが誕生してから20年間、
親しい友人に送っていたという
孫との2ショット年賀状を公開。


出典

コギャル扮装も…。

 

杉山響子さんによると
「母は面白くないとダメ」

例えば「孫は●歳になりました」
などの近況報告だけでは
面白くないからダメ、という
ことらしく。

 

「バカバカしさに家族は20年
耐えました」

 

人を楽しませることについて佐藤愛子
さんは常に気合が入っている状態なの
でしょうかね。
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佐藤愛子の孫はミュージシャン!?

ちなみに杉山桃子さんは現在、
ミュージシャンや映像制作の活動
しているようです。

出典

2019年2月には「不適合ガール」
というミュージックビデオを
ユーチューブにアップしていました。

タイトルからしても、
おばあちゃんの血を
受け継いでいる感じですよね。

佐藤愛子の夫は?

佐藤藍子さんはこれまでの人生で
2回結婚しているようです。

 

1回目の結婚は戦時中の1943年で、
病院長の長男だった森川弘さん
見合いで結ばれました。

 

長男、長女に恵まれましたが、
森川弘さんは軍隊在職中、

腸疾患治療で投与されていた
モルヒネの依存症に苦しめられ、
1951年に死去

 

子供2人は森川弘さんの両親に
引き取られたそうです。

 

2度目は1956年。

佐藤愛子さんは1950年ごろから
同人雑誌に参加するなど執筆活動を
始めていましたが、
その仲間だった田畑麦彦さんと結婚
します。

 

1960年には長女・響子さんを授かり、
1963年には佐藤愛子さんの小説
「ソクラテスの妻」と「二人の女」が

同年の上半期、下半期で連続して
芥川賞候補になり、作家活動にも
メドが立ち始めました。


出典

写真はその頃のもの。

幸せそうな3人家族ですが。

 

しかし、1967年。
田畑麦彦さんが立ちあげていた
会社が倒産。

 

多額の借金を背負うことになり、
2人は1968年に離婚します。

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偽装離婚のはずだったのに?

佐藤愛子さんは後のインタビューで
語っていますが、

離婚については、田畑麦彦さんの
方から
「離婚しないと愛子にも借金が
かかってくるから偽装離婚しよう」
と切り出したそうで。

 

それを信じて籍を抜いたそうですが
いつのまにか、田畑麦彦さんは違う
女性を籍に入れていたらしく!?

 

その後は、作家として忙しくなり
「物理的に無理」と再婚は考えな
かったそうですが

結婚はもうこりごりだったので
しょうかね。

 

田畑麦彦さんは2008年に80歳で
亡くなっていて、佐藤愛子さんは
2014年に田畑麦彦さんをモデルにした
「晩鐘」という小説を出版しています。

佐藤愛子は夫の借金を肩代わり!

佐藤愛子さんの前夫、田畑麦彦さんは
事業に失敗した際、2億円の負債
抱えたそうです。

 

妻としては「何も知らない」と逃げる
こともできたと思うのですが

佐藤愛子さんは家に来る借金取りに
帰ってほしい一心で肩代わりの判を
押し続け、

その総額は3500万円にまで上って
しまったそう。

 

それでも、そこで転ばないのが
佐藤愛子さんの強さです。

 

1969年、
小説「戦いすんで日が暮れて」で
直木賞を受賞。

この作品は、借金まみれとなった
実体験を描いたものです。

 

名前が売れた佐藤愛子さんは執筆活動
のほか、講演やテレビ出演など依頼
された仕事はジャンルを問わず全てを
受ける毎日を続け、借金を完済したそう。

 

佐藤愛子さんもこの時期は
「直木賞がこなかったら、もう首を
吊ってましたね。日々これ戦い。
もう最悪でした」
と振り返っています。


出典

1975年には自宅が強盗被害にも
あったり…。

 

でも、大きなマイナスを大きなプラス
に変えてみせた佐藤愛子さん。

 

これは90歳を超えても執筆活動を続ける
ようなエネルギーにあふれた佐藤愛子
さんだからこそ、成せる技かもしれま
せん。
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佐藤愛子の兄はサトウハチロー!

佐藤愛子さんは異母兄に詩人の
サトウハチローさんがいます。

 

数々の詩集や随筆を世に表しています
が、童謡の「ちいさい秋みつけた」

戦後日本のヒット曲第1号と言われる
「リンゴの唄」の作詞でも知られて
います。


出典

佐藤愛子さんの父親は小説家の
佐藤紅緑さんで、母親は元女優の
三笠万里子さん。

 

佐藤紅緑さんは1度離婚しており、
サトウハチローさんは先妻との
間の子供です。

 

サトウハチローさんは1973年に
70歳で死去し、その人生については
ドラマ化などもされていますが、

複雑だった家庭環境からか留置所行き
は30回以上。

「浅草一の不良少年」と言われたこと
もあったそうです。

 

佐藤愛子さんも家のことについては
「血脈」(文藝春秋)という小説の
上、中、下で波乱万丈の佐藤一族を
描いています。

 

本当に複雑な家庭環境だったようで。

興味のある方はご一読ください。

さいごに

佐藤愛子さんは怪奇現象に悩まされた
時期があったらしく、

そのころにスピリチャアルカウン
セラーの江原啓之さと知り合いに。

 

「あの世の話」(1998年、青春出版社)
というタイトルの書物も共著していま
す。

 

その頃から江原啓之さんはテレビ出演
などが増加。

タレントとしても人気を博しました

 

それでも後に、佐藤愛子さんは
タレントのピーコさんと
「あの世とこの世」(文藝春秋)
という本を出版。
スピリチュアルブームを
こき下ろしています。

 

なぜ、交友のある江原啓之さんを
斬るような内容を著したのか、
真意は定かではありませんが、

関連情報を拾ってみると、
佐藤愛子さんは霊能者がタレント
としてお金を稼ぐことを快く思って
いなかったようで。

 

そのあたりの経緯に詳しく触れる
機会が今後あるのかどうかは
わかりませんが。

今後も佐藤愛子さんの執筆活動は世の
注目を浴び続けていくような気がしま
す。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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