大川橋蔵の息子は俳優?嫁は朝丘雪路?自作の指輪を女房役の香山美子に贈った?

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俳優

こんにちは、くるみです。

 

大川橋蔵は時代劇の俳優として
知名度が高いのですが、元は歌舞
伎役者でした。

 

歌舞伎役者から時代劇映画の花形と
して華麗なる転身を遂げたのです。

 

大川橋蔵や市川雷蔵、中村錦之助
(後の萬屋金之助)、東千代之介は
「ニスケニゾウ」と呼ばれ、

昭和30年代の若手時代劇スターの代表
でした。

 

凛とした美しい顔立ち、頼もしさを
感じる男気をにじませる大川橋蔵は、

誰もが認める時代劇の黄金期を担う
素晴らしい役者です。

 

2019年は大川橋蔵生誕90周年を
迎えています。

 

そこで今回は大川橋蔵を徹底深掘り
していきますので、是非ご一読下さい。

大川橋蔵の息子は俳優?大川橋蔵の経歴やプロフィールもご紹介!

先ずは大川橋蔵の経歴やプロフィール
を紹介しましょう。

 

大川橋蔵は東京都出身の1929年4月9日
生まれです。

 

芸妓の子供として生まれましたが、
生後間もなく市川瀧之丞の養子
なっています。

 

こうした環境が行末を左右するもので、
大川橋蔵は幼い頃から役者としての
術を叩き込まれたのです。

 

初舞台は1935年で市川男女丸と名乗り、
1944年には五代目尾上菊五郎の養子
となり二代目大川橋蔵を襲名しました。

 

時代劇映画俳優として活躍したのが
1955年から1966年までで、

大川橋蔵の当たり役は何と言っても
「新吾十番勝負」シリーズ。

 

中性的な美しく繊細な顔立ちだった
大川橋蔵の美形剣士は、
女性の心を鷲掴みにしたことは言うまで
もありません。

 

そして、1966年からは映画からテレビ
ドラマや舞台に活躍の場を移し、

そこで大川橋蔵の代表作「銭形平次」
との運命的な出会いとなります。

 

「銭形平次」は1966年から1984年まで
18年、全888話続いた長寿ドラマです。

 

1人の役者が同じ主人公を演じた
1時間ドラマとして世界最高記録と言う
金字塔を打ち立てました。

 

ギネスブックにも認定され、銭形平次と
言えば大川橋蔵と言わしめたのです。

 

さて、大川橋蔵には二人の息子がいます。

長男は丹羽朋廣(ともひろ)、
次男は丹羽貞仁(さだひと)と明確に
公表されていて、

長男はフジテレビのプロデューサー
次男は1988年から俳優をされています。

 

次男の方は2011年に
「渡る世間は鬼ばかり」に出演しており、

それは父親と石井ふく子とのご縁による
ものとのこと。

長男は業界の中では大川橋蔵の息子と
肩書が付くでしょうが、
世間的には全く知られていません。

 

次男丹羽貞仁の方も、父親を前面に
出すことなく地道に俳優業を続けています。

 

同じテレビ業界に身を置く息子たち
の姿を、大川橋蔵は空の上から
温かく見守っていることでしょう。

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大川橋蔵の嫁は?朝丘雪路との関係は?噂の真相に迫る!

大川橋蔵は映画界からテレビや舞台に
移行した大事な時期である1966年に結婚
しています。

 

お相手は祇園の芸妓だった沢村真理子です。

 

大川橋蔵の嫁が朝丘雪路という噂は、
大川橋蔵と朝丘雪路が結婚するのでは
と言われるような関係だったこと。

出典

大川橋蔵ともなればモテない訳も
ありませんが、中でも有名だったのが
朝丘雪路との大恋愛ということでした。

 

舞台でも共演し、もしかしたらと周りも
思っていたようですが
この恋が実を結ぶことはありませんでした。

 

1966年に破局したとされ、当時朝丘雪路
は入院していたことから、

大川橋蔵と沢村真理子との結婚報道で
具合が悪くなったと噂されていたようです。

 

朝丘雪路本人はインタビューで否定
しています。

 

沢村真理子が子供を授かったことで
朝丘雪路に勝利したとも書かれており、
外野は好きなことを書き立てるものです。

 

大川橋蔵と朝丘雪路との破局理由は
明らかではありません。

 

真相は藪の中で、二人のみぞ知るです。

 

さて、大川橋蔵は「銭形平次」と共に
生きてきたかのように、

1984年番組が終了して間もなく亡く
なりました。

 

享年55歳と言う若さでした。


出典

愛妻家としても有名だった大川橋蔵
ですが、大川真理子としての著書に、
最期に
「おまえはぼくのたった一つの
宝だった」

と言葉を遺したとありました。

 

「ふたりひとつ」という著書のタイトル
通り、おしどり夫婦だったことが分かります。

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大川橋蔵が自分で作った指輪を女房役の香山美子に渡していた!

大川橋蔵の趣味に指輪作りがあるよう
です。

 

一芸に秀でるものは多芸に通ずと
言いますが、
役者として抜群のセンスを持っていた
大川橋蔵は手先も器用と言えるでしょう。

出典

香山美子が話すエピソードの中に指輪の
話がありました。

 

大切な形見と話しており、デザインから
細工、研磨に至るまで全て大川橋蔵本人
が行ったとのこと。

 

それも「銭形平次」や舞台の合間を
縫って作っていたということに、
香山美子は感激仕切り。

 

妻である沢村真理子とお揃いという
ところに、
大川橋蔵のきめ細かい心遣いを感じます。

 

長年のドラマでの女房と実生活での女房
と同じ指輪を持つことは、
香山美子にとってこの上ない喜びだった
ことでしょう。

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さいごに

当時、多くの方が大川橋蔵の訃報に
驚いたのではないでしょうか。

 

俳優大川橋蔵の姿をもっともっと見た
かったと思われた方も多かったはず。

 

50代と言えば俳優としても脂ののった
良い時期です。

 

亡くなる直前まで仲睦まじい4人家族
だった訳ですから、
大川橋蔵の人生は幸せそのもの。

 

一時代を築いた大川橋蔵の姿は、
多くの作品の中に今も生きています。

 

2019年の大川橋蔵生誕90周年に寄せて、
誕生日のお祝いと共にいつまでも永遠に
と言葉を添えて、締めのひと言と致しましょう。

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