西川悟平の高校は?結婚してる?強盗?病気?きらきらぼし?

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ミュージシャン

難病に侵されながらも
「7本指のピアニスト」として、
国際的に活躍する西川悟平さん。

出典

2021年には東京パラリンピックの
閉会式で心に響く演奏を披露して
注目を集めました。

 

これまでさまざまな困難に打ち勝って
きた西川悟平さん。

 

今回はピアノを始めたきっかけや
病気のこと、またこれまでの
エピソードを集めてみました。

西川悟平の高校は?

1974年生まれの西川悟平さんは
中学生の時に吹奏楽部で活動。

 

3年生の時、担当していた
チューバで音楽大学進学を
志しますが。

音楽大学の入試はピアノが必須と知り
取り組んでみるとピアノの魅力に
とりつかれたとのことで。


出典

ピアノでの音大進学を目指すことに
します。

 

ただ、ピアノで音大に入るのは、
小さな頃から英才教育を受けている
人がほとんど。

 

15歳から始めた西川悟平さんは
周りからも「絶対不可能」
と言われていたそうですが。

1日7~10時間の練習を重ねて
現役で大阪音楽短期大学の入学を
果たしました。

 

高校は大阪の此花学院に通って
いますが、おそらくその3年間は
ピアノ漬けの生活だったのでは
ないかと思われます。

 

此花学院は現在、大阪偕星学園に
名称が変わっています。

 

その母校ではコンサートも開いており、
後輩に温かい音色を届けているようです。

西川悟平は結婚してる?

西川悟平さんは早くに両親を
亡くしているそうですが。

生まれ変わっても一緒になりたい、
と話すような仲の良いご夫婦
だったそうです。

 

西川悟平さんの妻、子どもなどの
情報が載っている記事などは
見かけませんし
2019年のメディアのインタビュー
では。

仲の良かったご両親と同じように
「直近の夢は自分も温かい家庭を
つくること」
と語っているので独身なのかもしれません。


出典

ピアノ一筋の生活でこれまではご縁が
なかったのかもしれませんが結婚願望
はあるようですね。

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西川悟平は強盗に入られた?

西川悟平さんはアメリカ在住
ですが。

2015年1月にはマッハッタンの
アパートで強盗に入られて
しまったそうです。

 

もちろん「怖かった」という
西川悟平さんですが演奏にも
にじみ出る人間愛の強さをここでも
発揮。

 

2人組の強盗に必死に話しかけ、
最初は興奮していた強盗はやがて
親からの虐待など悲惨な子ども時代を
語り始めます。

 

その話に西川悟平さんは号泣。
「なんでも好きなものを持って
いっていいから」というと、

強盗の一人が
「日本人は人に対する尊敬の
念があり好きだ」
と心を開きはじめたので。

 

西川悟平さんが
「日本の緑茶を飲んでみるか?」
というと「飲む」といい、
そのまま3人は朝まで語り合います。

 

西川悟平さんも渡米後は生活のために、
清掃員などをしながら音楽を続けており。

「夢はピアニストだけど指の調子が
悪い」と将来の不安を打ち明けると。

彼らは「1年後には心配していたのが
バカバカしいと笑っている日がくる」
励ましてくれたのだとか。

 

そして、強盗の一人が誕生日という
ことでハッピーバースデーをピアノで
弾くと彼らは感激。

 

結局、何も取らずに引き揚げた
そうです。

 

そして、
これには後日談もあります。

 

事件の1年後に西川悟平さんは
カーネギー大ホールでの公演が
決定。

「僕は招待されますか?」と1通の
メールが西川悟平さんに届きます。

 

実は強盗と別れる時に西川悟平さんは
約束を交わしていました。

 

1つは
「警察には言わないから何か職業に
就いてほしい」
2つめは
「難しいと思うがカーネギー大ホール
での公演が実現したら招待する」
連絡先も交換していたそうで。

 

西川悟平さんはためらったそうですが、
主催者に説明すると
「約束を守れ」と言われVIP席
用意することになります。

 

そして当日、やってきた強盗は
スーツを着ていました。

 

彼らは清掃業の仕事に就いており、
さらに半年後にはお金を貯めて
メイドインジャパンの中古車を
買ったから見てほしいと。

写真が5枚送られてきたとのことです。

 

強盗までも改心させてしまう
ピアニスト。

西川悟平さんが心の中に持っている
もののすごさを感じさせる
エピソードです。

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西川悟平はどんな病気?

西川悟平さんが侵された病気は
「ジストニア」

脳の神経疾患で痙攣や硬直などが
起こる難病です。

 

大学を卒業してから、西川悟平さんは
和菓子店で働きながら演奏活動を
していて。

知人のピアノ調律師から
「有名なデュオピアニストが大阪で
コンサートをするからその前座で
弾いてみないか」
と誘われます。

 

そのコンサートに出ていたのが
ニューヨーク在住のピアニスト、
デビッド・ブラッドショーさん。

 

西川悟平さんの演奏を聞いた
ブラッドショーさんに
「ニューヨークで勉強しないか」
と誘われ1999年に渡米します。

 

それから2年ほどでピアノの前に
座ると手が曲がってしまう現象に
見舞われた西川悟平さん。

 

最初は筋肉疲労かと思っていた
そうですが症状は悪くなる一方で
病院へ出向くとジストニアが発覚
します。

 

セカンドオピニオン、サード…と
5人くらいの医者に診てもらい
ましたが診断結果は同じ。

 

そして
「今までのようにピアノは弾けない」
と宣告されます。

 

師のブラッドショーさんに
見放されるのが怖かったという
西川悟平さん。

 

しばらくは黙っていましたが
ブラッドショーさんが異変に
気付いたため正直に病気のことを話すと。

「指は何本動く?」と聞かれたので
「右手は3本、左手は2本」
と当時の状況を話すと。

師は
「よかったね。右で和音。左で
ベースが弾ける」と言ってくれたそうで。

西川悟平さんは
「7本しか動かない」では
なく「7本も動く」と思考を変えて。

西川悟平さんは音楽活動を諦めること
なく、リハビリにも懸命に取り組みます。


出典

そして数年かかって現在は7本の
指で演奏。

2021年12月にテレビ朝日系の
長寿番組「徹子の部屋」に出演
した際は。

現在も治療は続けているそうで
指が元通りになる望みは持ち
続けていることを語っています。

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西川悟平はきらきらぼしで再起?

師の励ましとともに西川悟平さんを
絶望から救ったのが世界中の国で
童謡として愛唱されている
「きらきら星」でした。

 

指が満足に動かなくなってから、
ファンの経営者に誘われ、幼稚園で
働きはじめたそうですが。

子どもたちにリクエストされて
弾いたのが「きらきら星」

 

演奏は自分の理想とかけ離れて
いましたが子どもたちは目を輝かせ
「もう一回弾いて!」

西川悟平さんはテクニック以外の
大切なことにも気づきます。


出典

「自分の思いの丈を音に乗せて
弾けるというところでは、今の方が
断然できる」

 

さまざまな困難に打ち勝ってきた
西川悟平さん。

これからも人の心を打つ演奏活動が
続いていくのでしょうね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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