中園ミホの生い立ちは?若い頃は?占い?年収は? 

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中園ミホの息子の父親は?現在は結婚してる?タモリとの関係は?
からの続きです。

 

こんにちは。有名人大好きの
サバ夫です。

 

中園ミホさんといえば
「やまとなでしこ」
「ハケンの品格」
など数々のヒットドラマを手掛けた
売れっ子脚本家ですが。

どのような家庭に育ち、
クリエイティブな才能が磨かれた
のでしょうか。

 

 

脚本家となる前は、違う職業に
就いていたようで、そちらも興味が
沸くところです。

 

そして、
中園ミホさんは何と占い師としての
顔もあるようなので、そちらに
ついても調べてみます。

中園ミホの生い立ちは?

中園ミホさんは
東京都中野区の出身。

 

1959年7月16日に父・弘光さん、
母・緑さんの次女として
生まれました。

 

弘光さんはフリーのカメラマン
でしたが、極めて無職に近い状態で。

週刊誌のフリー記者や生命保険会社
の外交員をしていた緑さんが家計を
支えていたそうです。


出典

写真は右が緑さんで、左は
お姉さんだそう。

 

弘光さんは無類の酒好きで
昼間から飲んでいて、

夜は友人の画家や音楽家が加わり
芸術論を戦わせるなどしていた
とのこと。

 

これだけ聞くと、さぞかし家庭は
すさんでいたのかと思いきや。

両親の仲がすごく良かったのだ
そうで。

「母は父に惚れていたし、恋愛の
匂いを色濃く感じさせる親でした」

「食うや食わずの時もありましたけど
卑屈にならなかった」

 

それでも、弘光さんは過度の飲酒が
たたったようで中園ミホさんが10歳の
時に死去。

 

19歳の時には緑さんをガンで亡くし
ます。

 

「あまりにも辛くて19歳ごろから
2年ほどのことを全く思い出せない」

 

中園ミホさんは当時、向田邦子さん、
倉本聰さん、山田太一さんなどが
手掛けたドラマや映画を熱心に
見ていたそうですが。

 

そうすることで、
「自分を忘れて没入できた。
辛いとき、人はフィクションに
一番救われることを身をもって
実感しています」

 

中園ミホさんが生きてきた環境は、
その後の創作活動に大きな影響を
与えたことは間違いなさそうです。

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中園ミホの若い頃は?

中園ミホさんは早くに両親を
亡くしましたが。

 

大学へ行く費用は母・緑さんが
残してくれていたそうで。

日本大学芸術学部を卒業。

その後は広告代理店に勤務します。

 

それでも本人いわく
「まともにコピーもとれず、
お茶汲みは下手、酒好きで飲んだ
くれては朝から酒臭い、使えない
OLだった」


出典

広告代理店は1年ほどで退社。

麻雀店の店員やコピーライターの
アルバイトもしますが、
それも長くは続かなったそう。

 

ただ、中園ミホさんの高校、
大学時代の友人の話によると、

学生時代の中園ミホさんはサガンや
向田邦子さんの著書をよく読んで
いて。

会話に大人のユーモアがあり、
大物感が漂っていたとのことなので。

才女であったのは間違いないで
しょう。

 

仕事がうまくいかなかった
中園ミホさんは生活の糧を何と
占い師に求めました。

 

これについては次の項目で
触れます。

中園ミホは占い師?

中園ミホさんは脚本家としての他に、
占い師としての顔を持っています。

 

母・緑さんの友人に今村宇太子さん
という著名な数気学の占い師がいて。

「わたしのことを言い当てられたのが
きっかけで興味を持った」
と14歳から師事。

 

大学卒業後、仕事がうまくいかなかっ
た中園ミホさんは、24歳から
今村宇太子さんのアシスタントとして
活動を始めます。


出典

占い師としても客を得るようになり
「けっこうな収入」
を稼いでいたようです。

 

その後、脚本家として成功したのも
「占いのおかげ」と言います。

 

ただ、人の運命を左右することも
ある占い師を職業として続けて
いくには、自らに対する厳しさも
求められ。

中園ミホさんは
「自分には向いていない」と感じて
いたそうです。

 

そして、自分の運気と照らし合わせて、
知り合いの脚本家に勧められてデビュー。

 

その後は自分のための占いで、
ドラマの出演者の運気や、

スタッフとの相性をチェックしたりも
したそうです。

 

現在は占いの公式サイトも運営している
ところをみると。

自分自身を成功に導いた占いに関して、
今は自信をお持ちなのではないで
しょうか。

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中園ミホの年収は?

脚本家の報酬はテレビ局や番組内容、
放送時間などにもよりますが、

テレビドラマであれば1話につき
80~100万円が相場と言われています。

 

中園ミホさんのように売れっ子脚本家
であれば当然、1本100万円以上
あると思われます。

 

これまで残してきた作品群を見ても、
最低でも1年に1本は連続ドラマの
脚本を担当しているようですし。

1990年代後半くらいからは年収が
1000万円を下った年はないのでは
ないかと思われます。

 

連続ドラマを3本書いている年が
あったり。
単発ドラマを手掛けたりもして
いますし。

 

ドラマよりも相場が高いとされる
映画の脚本を書いた年もあります。

 

さらに講演やメディア出演著書による
収入もあるでしょうし、占いサイトも
運営しています。

 

2010年からは日本大学芸術学部
客員教授も務めていまして。

億越えは微妙かもしれませんが、
そのくらいの高収入を得た年も
あったかもしれません。


出典

ちなみに中園ミホさんは脚本家として
ヒットを出し始めた1997年ごろに
マンションを買ったそうですが。

カーテンを買うお金に困るほど
すっからかんになっていたところに、

仕事を通じて売れっ子作家の
林真理子さんと知り合います。

 

占い師としての中園ミホさんによると
「金運を上げるには財布にこだわる
こと。なかでも強運の人にあやかると
効果的」
だそうで。

 

林真理子さんに
「使い終わったお財布でかまいません」
と財布をおねだりして、
占いを自分自身で実践すると。

ドルチェ&ガッパーナの新品を
プレゼントされたそうですが、
そこからまた続々と仕事が舞い込んだ
とのこと。

 

中園ミホさんの成功に占いの後押しが
あったのは本当のようですね。

さいごに

脚本家としての中園ミホさんは
もちろん占いに頼ってばかり
いたわけではなく。

徹底した取材活動を基に書き上げる
など、相当な努力家でも知られています。

 

ヒットドラマを生み出す秘訣を
聞かれても。

「私、ヒットドラマの何十倍も、
こけたドラマを書いてるので、
『こけるドラマをいっぱい書くこと
です。そのうち当たります』
ということしか言えない」

このあたりも、たくさんの苦労を
乗り越えてきた感じが伝わってきます。


出典

脚本には取材で知り合った人たちが
元気になってくれるような
言葉も意識して挿入しているそうで。

中園ミホさんの脚本が支持を集める
のは。

熱心な取材に裏打ちされた、リアルな
場面やセリフが並べられているから
かもしれませんね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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