黒木瞳の生い立ちは?宝塚時代の伝説は?同期は?退団後は?

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俳優・女優

こんにちは、有名人大好きの
サバ夫です。

 

映画「失楽園」で人気女優としての
地位を不動にした黒木瞳さん。

 

宝塚歌劇団の出身ですが
その頃からすでに数々の伝説を
残していたようです。

 

今回は黒木瞳さんの生い立ちや
宝塚時代の伝説などを調べるとともに。

宝塚同期のことや退団後の活躍ぶりに
ついても簡単にまとめてみました。

黒木瞳の生い立ちは?

黒木瞳さんは1960年10月5日
生まれで出身は福岡県八女市です。

 

本名は江上昭子さん
(結婚後の姓は伊知地)。

父の義仁さんは建設会社に
勤務した後。

馬や牛を仲買人である博労を
していたそうです。

 

また、剣道の有段者で地域の
子供たちにも指導しており。

黒木瞳さんも中学までは剣道に
親しんでいたそうです。

 

母の武子さんは福岡で大衆食堂を
切り盛りしていて。

地元では評判の美人おかみ
だったそう。

 

黒木瞳さんの容姿はお母さんから
受け継いだのでしょうかね。

 

4人きょうだいの末っ子
小さなころから歌うことが大好き
だったという黒木瞳さん。

 

中学生になってからは演じる
ことにも興味を持ちはじめ。

高校では演劇部の部長を務めて
県大会で優勝。


出典

それでも
「女優なんかなれるわけがない」
音楽教師を目指して音大を受験します。

 

そして、
高校卒業の思い出づくりにと
宝塚音楽学校を受験。

 

見事合格を果たして人生は
一変することになります。

 

宝塚の試験日は音大の合格決定の
1週間後で。

その間に付け焼刃で
クラシックバレエを練習。

 

歌とピアノには自信があった
ようですが。

踊りを勉強していない自分が合格
できるわけはないと緊張もせず
面接では福岡なまり丸出しで。

志望した理由を聞かれても
「(当時宝塚歌劇団と
ライバル関係だった)松竹
歌劇団でも良かった」
などと奔放な発言もして。

面接官を爆笑させていたそうです。

 

後に黒木瞳さんは当時を振り返り
「みなさん入りたくて頑張って
いらっしゃるなかで、わたしは
ふざけた野郎だった」
と反省?のコメントを残していますが。

 

それでも、黒木瞳さんの将来性を
宝塚の面接官は見逃さなかったという
ことになりますね。

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黒木瞳の宝塚時代の伝説は?

黒木瞳さんの伝説といえば、
1972年に大地真央さんの相手役
大抜擢されたことがまず挙げられます。

 

入団2年目での娘役トップで
これは宝塚史上最速だそうです。

 

大地真央さんの記事で触れていますが
これは大地真央さんの指名だったようで。

受験時の面接官もそうですが、
周囲の人は黒木瞳さんの持っている
ものを感じていたのでしょうね。


出典

それでも、例のないスピード出世には
序列を追い越されたタカラジェンヌの
一部のファンからは嫌がらせも受けた
ようで。

中でも衝撃的なのは
「砂入りのサンドイッチ」

 

以前、黒木瞳さんが女性誌で明かしたの
ですが。

楽屋入りのときファンらしき
女性2人から
「頑張ってください。これ食べて
ください」
とサンドイッチを手渡され。

一口食べたら「ジャリ」と口の中で
音が…。

 

大抜擢にはファンの間から
「器ではない」という批判の声も
大きく、それに耐えて奮闘していた
黒木瞳さんですが。

この時は声を上げて泣きじゃくった
そうです。

 

大地真央さんとのコンビは
「宝塚伝説のコンビ」とも言われ
ますが。

賞賛されるようになるまで黒木瞳さん
は計り知れぬ苦労をしていたようです。

黒木瞳の宝塚時代の同期は?

宝塚歌劇団67期生の黒木瞳さん。

退団後も女優、タレントとして
活躍している同期には

花組のトップスターとして活躍した
真矢みきさん。

月組のトップスターだった
涼風真世さんがいます。

 

そして、同期生の中には不慮の事故
により命を落とした人もいました。

 

1985年の日本航空123便墜落で
事故死した北原遥子さん。
24歳の若さでした。

 

北原遥子さんは宝塚歌劇団では
雪組の娘役として活躍。

 

年齢は黒木瞳さんが1つ上ですが、
寮生活で意気投合して親友と
なったそうで。


出典

北原遥子さんは歌劇団の許可なく
テレビドラマに出たとして
謹慎を言い渡されたことがあり。

「寮にいるのがつらい」と
一人暮らしを始めていた黒木瞳さんの
アパートに転がり込んでいたことも
あったのだとか。

 

北原遥子さんは1984年に宝塚を退団。

黒木瞳さんよりも早くに宝塚を去り。

テレビドラマ、CM、ミュージカル
などで第2の芸能人生も順風な
スタートを切っていたところでした。

 

事故の直前も電話で
「これから大阪に行くの」
「あした、会おうね」と2人で会話
しておりその直後の悲劇。

 

8月18日に行われた北原遥子さんの
葬儀では月組の仲間に抱えられる
ようにして参列する黒木瞳さんの
姿があったようです。

 

同期の仲間のショックは計り知れ
ませんが、逸材揃いの67期生。

その美女ぶりが評判だった
北原遥子さんの将来が突然奪われた
ことは残念でなりません。

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黒木瞳の退団後は?

黒木瞳さんは24歳だった
1985年9月に宝塚歌劇団を
大地真央さんと同時退団。

映画女優の道を歩み始めます。

 

30歳まで仕事が思うように
いかなければ福岡に帰ろうと考えて
いたそうですが。

退団から半年後。
1986年公開の映画「化身」で
主演デビューします。

 

そして、黒木瞳さんといえば、
多くの人が思い浮かべるのは
映画「失楽園」の好演でしょう。


出典

役所広司さんとの共演で
1997年に公開された作品は
配給収入23億円をマーク。

 

日本アカデミー賞、キネマ旬報賞
などを受賞し、「失楽園」は
流行語ともなりました。

 

名女優としての地位を確立しながらも
エッセイや詩集、さらに絵本の翻訳
などでも活躍している黒木瞳さん。

 

あふれるほどの才能とバイタリティー
にはただただ頭が下がるばかりです。

さいごに

黒木瞳さんは映画監督としても
作品を発表しています。

 

監督第1作は「嫌な女」

 

桂望実さんの同名小説が原作で、
もともとは黒木瞳さんが女優として
演じるために原作の映像化権を手に
入れていて。

「この作品の世界観を一番
わかっているのはわたしだと思い、
監督をしてみようと気持ちが
変化していった」
ということです。

 

夫で電通マンの伊地知俊夫さん
からも「絶対にやらないほうが
いい」と言われたそうですが。

一度、抱いた思いは止められなかった
のだとか。

 

2017年には短編映画
「わかれうた」のメガホンを取り。

そして、2020年には再び長編映画の
「十二単衣を着た悪魔」
を世に送り出しました。


出典

いずれの作品も残念ながら
興行的に成功したとは言えず。

「大コケ」などと酷評するメディアも
あったようですが。

熱い思いでものづくりに取り組んで
いる印象のある黒木瞳さん。

 

今後も女優として、はたまた監督
としてどんな作品で存在感を
発揮するのか楽しみです。

黒木瞳の旦那との馴れ初めは?娘は宝塚不合格で青学退学?
に続く。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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