小松原庸子(ようこ)の夫は画家?離婚理由は?兄が俳優って本当!?スペイン舞踊団とは?

女性著名人

こんにちは、くるみです。

 

小松原庸子は、舞踊家でフラメンコの
第一人者です。

 

日本舞踊から始まり、15歳からは
クラシック・バレエを習得。

 

そして舞台は日本からスペインへと移
り本格的にフラメンコを学び、
ラファエル・デ・コルドバ舞踊団へ
入団します。

 

ここから小松原庸子は世界各国の公演
に参加することとなり5年後の1965年、

日本においてスペイン舞踊研究所を
開きフラメンコの先生となりました。

 

そこで今回は、経歴や受賞歴も華々
しい小松原庸子を徹底追求していき
ましょう。

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小松原庸子とフラメンコとの出会いは!?

小松原庸子は東京都出身の
1931年3月2日生まれ
です。

 

5歳の時に日本舞踊の初舞台に立ち、
15歳から小牧バレエ団に入団して
います。

 

バレエの舞台に立ちながら俳優座
にも籍を置き、演劇活動を始めて
いました。


出典

さて小松原庸子がフラメンコと出会っ
たのは1959年のこと。

 

フラメンコの日本公演に衝撃を受けた
小松原庸子は、1962年単身フラメンコ
の本場スペインへと修行の旅に出ます。

 

そこで、天才的な師匠と呼ばれる
エンリケとの運命的な出会いがあり
ました。

 

エンリケから「踊りは心である」
というフラメンコの真髄を学んだ
小松原庸子。

 

芸術や創造する世界では表現力が
問われます。

 

自分にしか出来ないことをいかに舞台
で表現していくか、

小松原庸子にとって修行の日々が
大きな財産となりました。

出典

帰国後、小松原庸子はフラメンコの
発展のために力を尽くします。

 

小松原庸子の功績が認められ、
スペインで栄誉あるジェラルド・
ブレナン賞を受賞。

 

小松原庸子は国内でも芸術祭舞踊部門
大賞や紫綬褒章、旭日小綬章を受賞

するなど、

国内外で数々の賞を受賞している凄い
女性なのです。

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小松原庸子の夫は画家!?

小松原庸子の夫は画家の彼末宏といい
ます。

 

彼末宏は1927年に東京で生まれ
小学生以降は商社勤めの父親の転勤で
北海道の小樽で過ごしました。

 

中学卒業後は陸軍士官学校へ進むもの
の画家への夢を諦めきれず東京美術
学校に入学。

 

梅原龍三郎に師事することとなり、
1952年同校を首席で卒業します。

 

卒業後も助手として働き、その間に、
新人賞、国画会賞を受賞。

 

1958年から1年間奨学金を受けて渡欧
したということで、画家として順調な
歩みを進めていたのが分かります。

 

彼末宏は帰国後の1960年には『城跡』
という作品で国画会会友賞を受賞し、

めったになれないという国画会会員
にもなりました。


出典

その後は1969年、東京芸術大学の
助教授となり、1980年から8年間
同大の教授を務めました。

 

そして1991年呼吸不全のため64歳に
て逝去しています。

小松原庸子と夫、彼末宏の離婚理由は?

小松原庸子と夫の彼末宏は1950年に
結婚
したとの事。

 

小松原庸子が19歳のときになります。

 

若い!という印象ですが、当時として
は珍しくない年齢だったのでしょうか?

 

小松原庸子がウェンディ・ネットで
語っている内容によると、

単身でスペインへ修行に向かったのは
1962年なので、結婚してから12年は
経っていたということになります。

 

当時絵描きである夫と小松原庸子の
兄と3人で一緒に暮らしていたそうで、

出典

小松原庸子のスペイン行きの背中を
押したのが、夫と兄だったと。

 

先ずスペイン行きから2年後に帰国
した小松原庸子は、
夫と兄にそんなに帰らないならお金は
送らないと言われてしまいます。

 

そこで未だフラメンコ歴2年だった
小松原庸子が起こした行動は、
フラメンコのリサイタルを開くこと
でした。

 

初歩であるにも関わらず、リサイタル
は超満員の大盛況。

 

メディアにも取り上げられ、踊りを
褒めてもらったことに気を良くした
小松原庸子は修行のため再びスペイン
へと渡ります。

 

長くスペインに居住することとなり、
結局夫と別れてしまった
とありました。

 

離婚理由は明確。

「俺を取るかフラメンコを取るか?」

ということで、フラメンコを取った
結果だということになります。

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小松原庸子の兄は俳優の菅原謙次だった!

小松原庸子の兄は、菅原謙次という
芸名で活躍した俳優
です。

 

本名は小松原重政と言います。

 

上品で端正な顔立ちの菅原謙次は、
二枚目スターとして数々の映画に
主演するほどの名俳優でした。


出典

残念ながら1999年、菅原謙次は
急性肺炎のため亡くなっています。

享年74歳でした。

 

菅原謙次が1926年生まれでしたので、
妹である小松原庸子とは5つ違いと
なります。

小松原庸子のスペイン舞踊団は2019年創立50周年だった!

1969年に結成された小松原庸子の
スペイン舞踊団によって、

日本やスペインだけにとどまらず世界
各国でフラメンコの舞台公演を開催
することが出来るようになりました。

 

1988年には権威あるスペインの
フェスティバルに招かれ野外劇場で
公演をしたり、

1996年には初めてアジアでの公演を
大成功に収めたりと小松原庸子の思い
は次々と実を結びます。


出典

その後もスペイン舞踊団は数々の
公演活動を行い30周年、35周年と
5年ごとの節目を迎える中、

2019年には10月から11月にかけて
創立50周年の記念特別公演を開催。

 

「情熱フラメンコ2019」と題して
日本各地全24公演となっており、

本場スペインから一流のダンサーを
招へいしての至極の舞台となりました。

 

2020年3月で御年89歳を迎える
小松原庸子は、美しさそのままに現役
で舞台での構成・演出・振り付け指導
を行っています。

 

そして、この度2020年2月21日の
「徹子の部屋」に小松原庸子が出演の
運びとなりました。

 

黒柳徹子も独特の世界観を持ち海外
にも精通していますから、小松原庸子
との会話が楽しみです。

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さいごに

小松原庸子の顔立ちを見ますと、生粋
の日本人のはずなのにエキゾチックな
美しさが溢れています。

 

小松原庸子の両親がおしゃれでモダン
な人だったと語っているので、
両親の影響も大きかったのかも知れま
せん。

 

フラメンコのイメージは情熱の赤、
スペイン舞踊団のHPも赤いバックが
強烈な印象を与えます。

 

フラメンコを後世に繋げたいという
一心で、フラメンコの伝導に寄与
した小松原庸子。

 

日本でもフラメンコ人口が増えて
いる現在、本場スペインでも新しい
アイディアが次々生まれ革命を起こ
しているとか。

 

小松原庸子は負けられない思いで、
良い作品を創りたいと今も意欲を
燃やし続けているのです。

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