風間杜夫の生い立ちは?子役出身で大学は?劇団?蒲田行進曲?

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俳優・女優

こんにちは、
有名人大好きのサバ夫です。

 

1980年代の大ヒット
映画「蒲田行進曲」などで熱演を
続けてきた俳優の風間杜夫さん。

 

2022年には73歳の誕生日を
迎えますが子役歴もあるとのこと
なので。

芸能界でのキャリアは相当に
長い方です。

 

今回は風間杜夫さんが「蒲田行進曲」
で大ブレイクするまでの道のりを
追ってみました。

風間杜夫の生い立ちは?

風間杜夫さんは
1949年4月26日生まれで
出身は東京都世田谷区です。

 

父は映画会社の新東宝で配給の仕事を
していたそうで。

娯楽の少ない時代。
会社の羽振りはよかったそうで、実家が
世田谷区上馬というあたりも、育ちが
良さそうなイメージですよね。


出典

子どもの頃は引っ込み思案だった
そうですが。

母が幼稚園でのママ友から
「ともちゃん(風間杜夫さんの本名は
住田知仁=ともひと)は学芸会で
はつらつとしている」と言われていたのこと。

 

映画会社に勤める父に連れられ、
幼い頃から寄席や大衆演劇を見る機会も
多かったそうなので。

風間杜夫さんは自然と演じる力が身に
付いたのでしょうかね。

 

そして、風間杜夫さんが小学校2年に
なると、母が児童劇団に入団させ、
ここから風間杜夫さんの役者人生が
スタートします。

風間杜夫は子役でも活躍?

風間杜夫さんは小学校2年生の時に
児童劇団に入団。

 

そして、
小学3年生で東映児童演劇研究所の
第一期生となり頭角を現します。

 

小学校5年生の時には連続して
8本の映画に出演。

 

10カ月ほど撮影所のある京都で
暮らした時期もあるというほどの
人気子役となります。

出典

雑誌の表紙などにも起用されて
いるようで。

出演作を調べてみると名監督と
呼ばれたマキノ雅弘さんが
メガホンを取った「江戸の悪太郎」や。

大人気俳優の片岡千恵蔵さん、
高倉健さんが出演した
「地獄の底までつきあうぜ」
などがあり。

実力も確かなものであったのが
うかがえます。

 

しかし、天才少年は一度芸能界と
距離を置きます。

 

体が大きくなってきた小学6年生
くらいから仕事が徐々に減っていた
ところに。

俳優の米倉斉加年さんから
「俳優を一生の仕事にするなら
子役の仕事はやめたほうがいい」
と助言を受けます。

 

一昔前に
「子役は大成しない」とジンクスの
ように言われていた時期がありました。

 

現在は子役での成功から大人に
なっても売れ続けている例は
たくさんありますけど。

子役で成功した俳優さんたちが成長
できる環境が整っていなかった時代も
あったのでしょうかね。

 

自分ではない子役が売れ出すと
「あいつが売れて、なんで俺が」
という感情も持つようになっていた
という風間杜夫さん。

 

「いったんやめたほうがいいな」と、
米倉斉加年さんの助言通りにしましたが。

大人になったら舞台で活躍できる俳優に、
いう目標はその後も持ち続けていたそうです。

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風間杜夫の大学は?

風間杜夫さんが本格的に演じることを
再開したのは早稲田大学に入学してから。

 

一浪の末、1969年に入学して、
早稲田の三大劇団の一つと言われた
「自由舞台」に入ります。

 

高校は玉川学園ですが玉川大学を
選ばなかったのは「自由舞台」に
入りたい思いがあったからなのだとか。

 

しかし、時代は学園紛争の真っ只中。

風間杜夫さんもデモに参加して
3日間の留置所生活も経験している
そうですが。

その中で「自由舞台」の活動も
ままならなくなっていき。

風間杜夫さんは早稲田大学を中退。

「表現劇場」という劇団を立ち上げます。

 

メンバーには後にお笑いトリオ
「シティボーイズ」で人気を博すこと
になる
大竹まことさん、
斉木しげるさん、
きたろうさんもいました。

 

大竹まことさん、斉木しげるさんとは
アパートに3人で暮らしていたこと
もあったそうです。


出典

小劇場などで活動しているうちに
出会ったのが当時気鋭の演出家、
つかこうへいさん。

これが俳優としての風間杜夫さんの
大きな転機となります。

風間杜夫の劇団時代は?

「表現劇場」に所属していたころの
風間杜夫さんは生活も苦しかった
そうで。

大竹まことさんらとの同居生活時代は
ご飯にマヨネーズをかけるのが
ごちそうだったとのこと。

 

各方面に売り込みをかけると、
成人映画から声がかかり。

風間杜夫さんは子役時代に本名で
銀幕デビューを果たしていますが。

1972年に日活の成人映画に
風間杜夫名義で初めて映画出演。

その後、風間杜夫さんは結婚も
されており。

別記事でも触れますが濡れ場ありの
現場はギャラが良く。

成人映画には苦しい生活を助けられた
とのこと。

 

表現劇場は3年ほどで解散して
しまいますが。

前述したつかこうへいさんとの
出会いで俳優として大きくジャンプ
アップします。


出典

1977年2月に出演した劇団
「つかこうへい事務所」の
「戦争で死ねなかったお父さんのために」
では。

風間杜夫さんはヒステリックな
キャラクターのディープ山崎役を好演。

 

ちなみに共演者には平田満さん、
三浦洋一さんなどもいて。

舞台の世界で有名となった風間杜夫さんは
以降、つかこうへいさん作品の主要キャスト
となります。

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風間杜夫は蒲田行進曲で出世

舞台で名を上げた風間杜夫さんは
映画やテレビドラマでも活躍が
目立つようになりますが。

出世作は何といっても
映画「蒲田行進曲」でしょう。


出典

1982年の公開でつかこうへいさん
脚本、深作欣二監督による作品で。

風間杜夫さんの役どころは
松阪慶子さんが演じたヒロイン、
小夏の恋人である銀四郎、
通称「銀ちゃん」で。

蒲田行進曲は
1983年の日本アカデミー賞で
主な最優秀部門を総なめにしますが。

風間杜夫さんも
最優秀助演男優賞を受賞。

知名度は全国区となりました。

 

蒲田行進曲は映画化される前に、
つかこうへいさんの劇団で上演
しており。

風間杜夫さんも出演されていますが。

映画化の際は仲間の平田満さんと
ともにつかこうへいさんから
「お前たちはキャスティングされない」
と言われていたそうです。

 

銀四郎役は当初、松田優作さんに
依頼するも調整できなかったという
エピソードも出ていますが。

重要な役どころは小夏役の松坂慶子さん
以外は難航したそうで。

深作欣二監督が
つかこうへいさんに
「おたくの劇団の役者でいきましょう」
と提言。

 

銀四郎役は風間杜夫さん。
階段落ちの名シーンが話題となった
ヤス役を平田満さんが務めることと
なったとのことです。

 

映画をご覧になった人はご存じと
思いますが。銀四郎は銀幕スターで。

劇中では大部屋俳優をバカにする
振る舞いもあったことから。

実際の撮影中も大部屋俳優さんたち
からの風当たりが強かったのだとか。

芸の道に進む人たちは例外なく
苦労しているでしょうし。

大きなチャンスをつかめるのも
一握りにしかすぎず。

 

もしかすると風間杜夫さんは
ねたみの対象だったのかもしれませんが。

子役時代から天才ぶりを発揮し。

70歳を超えた現在までキャリアを積み
重ねているというだけでも。

風間杜夫さんが成功した背景に、運の
要素は限りなく少なそうですし。

 

やはり俳優としての実力が相当な
ものだということなのでしょう。

 

風間杜夫の嫁と子供は?スチュワーデス物語?現在は落語?
に続く。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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