嘉門達夫の破門理由は?名付け親は桑田佳祐?替え歌?嫁と子供は? 

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タレント・アイドル

こんにちは、
有名人大好きのサバ夫です。

 

「タラリ~ン。鼻から牛乳~」や、
替え歌メドレーでおなじみの
シンガーソングライター、嘉門達夫さん。

 

落語家として芸能活動をスタートさせ
破門からの再デビューでブレーク
したという経歴の持ち主です。

 

そして、芸名の名付け親はあの大御所
ミュージシャンなのだとか。

 

今回は嘉門達夫さんが売れる前のこと
やご結婚相手などについて調べてみました。

嘉門達夫の破門理由は?

嘉門達夫さんの芸能活動は
大阪府立春日丘高在学中の1975年、
人気落語家の笑福鶴光さんに
弟子入りした
ことから始まります。


出典

もともと落語に興味があったわけでは
なく。

MBSラジオの「ヤングタウン」
という番組が大好きで。

笑福亭鶴光さんは当時、その番組の
レギュラー。

 

「鶴光師匠に弟子入りすれば、番組に
連れて行ってくれるんじゃないかって
思ったんです」

 

笑福亭笑光の名前をもらい修業を
始め。

19歳の時にオーディションを受けて、
あのねのねの原田伸郎さんの
アシスタントとして「ヤングタウン」
レギュラーが決まります。

 

番組内ではギターを弾きながら
師匠の笑福亭鶴光夫妻をネタにした
ミニコーナー「笑光の涙の内弟子日記」
なども評判を呼ぶなど。

ラジオでの仕事が楽しくなり。

嘉門達夫さんによると
「『俺は落語がやりたかったんじゃ
なくて、これがやりたかったんや』
って、修業にも身が入らなくなって
いくわけです」

 

笑福亭鶴光さんの言いつけを聞かなく
なり何度も大阪の茨木にある実家に
帰されることが続くと。

最後は笑福亭鶴光さんから破門を言い
渡されてしまいます。

 

事務所の松竹芸能もクビとなり、楽し
かったという「ヤングタウン」も降板。

失意の嘉門達夫さんは1980年の9月
から放浪の旅に出ることになります。

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嘉門達夫の名付け親は桑田佳祐?タツオ改名?

嘉門達夫さんは本名ではなく芸名で。

本名は鳥飼達夫さんと言います。

 

「嘉門」の名前はなんと
サザンオールスターズの
桑田佳祐さんからもらったものだそうで。

 

嘉門達夫さんは破門となり落語家を
廃業した後に放浪の旅に出て。

能登半島や佐渡島などでヒッチハイク
したり、与論島でアルバイトする
などしていたところ。

桑田佳祐さんらが所属する大手の
芸能事務所「アミューズ」から
連絡を受けます。

 

「ヤングタウン」に出演していた時の
ディレクターがアミューズの社長に
「だれか面白い人いない?」と聞かれ、

嘉門達夫さんの歌声が入ったテープを
聞かせると興味を持ってくれたのだとか。

 

嘉門達夫さんは大阪でアミューズの
契約社員となり。

将来のタレント活動を見据えながら
有線放送の営業回りの仕事を始め。

サザンオールスターズが歌う
「チャコの海岸物語」などのPRを
していたそうです。

 

そして1981年。桑田佳祐さんが
海外の曲のカバーコンサートを開催
することになり。

嘉門達夫さんは大阪公演の前座に
抜擢されます。

 

そして、桑田佳祐さんから
「鳥飼ってカタイよね。名前、変える?」
と呼びかけられ。

最初に言われた
「カメリア・ダイヤモンドはどう?」
は丁重に断ったそうえすが。

「じゃあ、こっちは?」と言われた
のが、桑田佳祐さんが海外曲のカバー
をやる時に使っていた「嘉門雄三」
いう名前でした。

 

「全部いただくのも申し訳ない」と、
「嘉門」という姓の部分をもらって
現在に至るというわけです。

 

ちなみに、嘉門達夫さんの替え歌に
関して、サザンオールスターズの曲は
「好きに使っていい」という許しを
桑田佳祐さんから得ているそうで。

嘉門達夫さんは桑田佳祐さんに
「名前をもらい、近くにいられる幸運
というのは、いくら感謝してもしきれない」
と言います。

 

なお、嘉門達夫さんは2017年に
名前の部分を片仮名にして
嘉門タツオに改名しました。

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嘉門達夫といえば替え歌

「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」
「鼻から牛乳」
「アホが見るブタのケツ」
など数々のヒットを生み出してきた
嘉門達夫さん。

 

そして、嘉門達夫さんの代名詞と
言えば「替え歌」でしょう。

 

1991年にリリースした
「替え唄メドレー」は82万枚を
売り上げる大ヒットとなり。

その後も続編が次々と世に送り出され
ています。


出典

曲はたくさんありすぎてここでは
紹介しきれませんが
サバ夫は「チャコの海岸物語」の
出だしを替えた
「海パンの中井貴一が
~腰を振る物語~」や

ピンクレディーの「カルメン77」の
「わたしの免許は仮免でっす~」
が好きかな。

 

ちなみに嘉門達夫さんサイドは
替え歌をリリースする時に。

原曲の作者や歌い手はもちろん、
替えた詞に出てくる登場人物なども
抜かりなく許可を求めていて。

曲に関わっている数十人のうち
たった一人がNGだったために
お蔵入りした替え歌も数えきれない
ほどあるそうで。

 

また、事務所がNGでも楽曲制作者
本人から使用許可が出たり。

時が経って事情が変わるなどで
数年後にOKが出る、という場合も
あるのだとか。

 

嘉門達夫さんの替え歌には相当な
労力が費やされているということに
なりますね。

嘉門達夫の嫁や子供は?

嘉門達夫さんは2008年11月に結婚
しています。

 

お相手は眼科医で名前はこずえさん
いうそうです。

 

2人は2007年にワイン好きの共通の
友人を通じて知り合い、意気投合して
交際がスタート。。

その後、嘉門達夫さんは友人の落語家、
桂雀々さん、タレントの北野誠さんと
食事をともにした時、こずえさんも
同席して2人に紹介したそうですが。

嘉門達夫さんがトイレに行った間、
桂雀々さんと北野誠さんがこずえさん
に「達夫をよろしく頼む」と
猛烈アピールして後押ししてくれたの
だとか。

 

当時嘉門達夫さんは49歳、
こずえさんは43歳で2人とも初婚。

 

「もうじき50歳だった時にタイミング
が来た。この人とならやっていける。
世界が変わるというのが来た」
嘉門達夫さんは結婚報告会で
喜びを語っています。

 

お子さんについては
「頑張れば可能性のない話じゃない。
50歳から子育てすれば、歌の世界も
変わってきそう。授かれれば」
語っていましたが。

お子さんが生まれたという情報は
その後、見かけていないので。

お二人のままで生活されているか、
授かったとしても公表していない
のかもしれません。

 

嘉門達夫さんは結婚時にお笑い界の
モンスター、明石家さんまさんから
「離婚するときは弁護士を紹介する
って言われました」と辛らつエールを
送られたことも明かしていますが。

結婚以降は夫婦仲に関する情報も出て
いないようですし。

お幸せに過ごされているのではない
でしょうか。

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さいごに

嘉門達夫さんがなぜか音楽に目を
向けたかについてですが。

インタビューでは1973年にリリース
されたあのねのねの「赤とんぼの唄」
に衝撃を受け、人を笑わせる歌に
興味を持ったとのこと。

 

そして、落語の世界に入ると、当時は
笑福亭仁鶴さん桂三枝(現・文枝)さん、
月亭可朝さんらもレコードを出しており。

「お笑いと歌が、僕の中で渾然一体と
なっていったんでしょう」と語ります。


出典

現在もメディア出演やユーチューブ
などで活動は変わらず精力的な様子ですし。

今後も楽しい歌詞で人に笑顔を与える
存在であっていただきたいです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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