原田マハの本名は?wikiプロフィールは?兄や父や夫は?

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こんにちは、有名人大好きの
サバ夫です。

原田マハさんといえば
映画化された「キネマの神様」
「総理の夫」などで知られる人気小説家です。


出典

お兄さんは同じく人気小説家の
原田宗典さんで。

きょうだい揃って文筆で成功している
数少ない例ではないかと思われます。

 

今回は原田マハさんのプロフィールや
ご家族のことについて調べてみました。

原田マハの本名は?wikiプロフィールは?

原田マハさんは
1962年7月14日に
東京都小平市で生まれています。

 

お父さまの転勤で小学校6年生から
高校卒業までは岡山県で暮らしていました。

 

後述しますが原田マハさんは
お父さんやお兄さんの影響で、アートや
文学に強く興味を持ち。

高校時代は小説や漫画を描いたり、
バンド活動をするなど、かなり進歩的な
10代を過ごしていたようです。

 

原田マハという名前はペンネーム。

画家のゴヤが描いた
「裸のマハ」「着衣のマハ」
が由来なのだとか。

 

マハはスペイン語で「小粋な女性」
という意味があるそうで。

原田マハさんにとってはアートに由来
する名前がよかったのと。

サインがサッと書けるという2つの
理由から選んだとのことです。

 

原田マハさんは本名を公表していない
ようですが。

実兄で小説家の原田宗典さんが
以前ツイッターで。

「妹原田マハ幸子はモンブランの
万年筆を兄に贈り今朝パリを旅立った。
てかっこよすぎるだろこのヤロ!」
つぶやいており。

本名は幸子さんてこと?

確証はありませんが特に隠そうと
しているわけでもないのかも
しれませんね。

 

原田マハさんは小説家として名を
上げる前はフリーランスのキュレーター
として活動していました。

 

2005年に執筆した小説
「カフーを待ちわびて」が宝島社の
「日本ラブストーリー大賞」を受賞するわけですが。

これは2004年に仕事で沖縄に出向いた時に。

浜辺で遊ぶラブラドール犬に魅せられ、
飼い主に犬の名前を尋ねると。

「カフーっていうんです。
沖縄の言葉で幸せという意味です」

その瞬間、何かがどーんと降りてきたの
だとか。

 

執筆を開始したのは
2005年1月1日だそうで。

そこから原田マハさんの存在が広く世に
知られることとなります。


出典

ちなみに原田マハさんの
公式ウェブサイト「マハの展示室」
には自伝的プロフィールが掲載
されています。

 

ご本人によるものですから
当然wikiより精度が高いでしょうし。

原田マハさんに興味を持った方は
そちらをのぞいてみるのも
いいかもしれません。

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原田マハの兄は原田宗典

原田マハさんのお兄さんも小説家。

1984年すばる文学賞佳作の
「おまえと暮らせない」などを
著したことで知られる原田宗典さんです。


出典

これまで小説のほか、エッセイや
戯曲も多数発表。

 

小説家として本格的に活動する前は
コピーライターをしていたそうですが。

軽妙な文体は前職と通じるものが
あるのでしょうか。

 

原田マハさんによると原田宗典さんは
「すごく本を読む子」だったそうで。

子どものころは2人で競うように読書。

 

国語辞典を覚え合ったりもしていた
そうですから。

文筆家として名を上げる人はやはり
子どものころから違うのでしょうかね。

 

その原田宗典さんは2013年に
不祥事を起こしています。

 

覚せい剤と大麻を所持していた疑いで
逮捕され。

その後、執行猶予付きの判決が言い
渡されています。

 

原田マハさんは裁判で証言台に立って
いますが。

原田宗典さんはうつ病に悩んでいたそうで。

原田マハさんも心配はしていたそう
ですが「連絡をしすぎると(執筆への)
集中力が途切れてしまう」と同業者
として気遣いもあり。

それまでは積極的に連絡をとって
いなかったとのことですが。

 

証言台では
「今までと逆のことをすればよい。
これからは、見守って接触して一人に
しない」と語ったそうです。

 

原田宗典さんは2015年ごろから
執筆活動を再開。

 

2018年には新作小説の「〆太よ」
を発表。

 

同年には岩波書店の「図書」で
兄妹の対談が掲載されるなどで
元気な姿を見せています。

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原田マハの父は?

原田マハさんの父は百科事典や
美術書などのセールスマンで。

家にはそうした本があふれていた
そうですから。

原田兄妹が創作の道に進んだのも、
お父さまの存在が大きく影響した
のは間違いなさそうです。

 

映画化された小説「キネマの神様」
原田マハさんがお父さまをモデルに
書き上げたもので。


出典

主人公は映画とギャンブル好きで
破天荒ながらも、なんだか憎めない
キャラクターですが。

原田マハさんの父もそういうタイプ
だったようです。

 

例えば、休みの日に出かけると、
出先で「1時間ここで待っていて」
「6時間したら帰ってくる」
と子供を喫茶店などに放置。

 

原田マハさんによると、おそらく
場外馬券売り場などに行っていたの
ではないかとのことです。

 

「好きなことにどこまでも忠実で、
自分が楽しむことを第一に置いていました」
とお父さまを語っていますが。

これは現在の原田マハさんの生き方にも
つながっているようですし。

 

映画、本、アートに関しては
「見たいものを全て見せてくれた」
ということですから。

お父さまの存在なくして今の
原田マハさんの姿はないのでしょう。

 

お父さまはすでに死去されているようです。

原田マハの夫は?

原田マハさんは1990年5月に
結婚しています。

 

2018年に週刊朝日で作家の
林真理子さんとの対談で夫について
話していますが。

かつては音楽関係の仕事をしていた方で。

現在は原田マハさんの仕事を
サポートしたりマネジメントの一部を
手伝ったりしているらしく。

「なかなかいいパートナーで文句も
言わずにコツコツと仕事をサポート
してくれて」と夫に信頼を寄せている
ようです。

 

また、円満の秘訣は「会わないこと」

原田マハさんは国内外を飛び回る生活で、
一緒にいることがほとんどないのだとかで。

それがかえっていい距離感になっている
とのこと。


出典

原田マハさんは2013年、
長野県蓼科高原の別荘地の一角に
建築家の馬場正尊さんが設計した
自宅を構えましたが。

引っ越しの準備なども夫が一人で
進めてくれたそうです。

 

トップランナーとして活躍する妻と、
それを深い愛情でサポートする夫という
組み合わせ。

 

原田マハさんの代表作でもある
「総理の夫」も。

もしかすると自身の生活から
生まれたモチーフなのでしょうかね。

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さいごに

原田マハさんの人生について
調べてみると多数の職歴がありました。

 

関西学院大学卒業後に広告の
プロダクションや美術館に勤務し、
その後は伊藤忠商事に中途入社。

 

アートや文化に関するコンサルティング
業務をこなすかたわらで。

早稲田大学第二文学部で3年から
編入可能な学士試験に合格。

 

学芸員の資格を取得して伊藤忠商事を
退職後は森ビルの美術館設立に
携わり。

その後は森美術館が提携関係を結んだ
ニューヨーク近代美術館にも勤務歴が
あります。


出典

簡単に紹介しましたが
「マハの展示室」では一連の流れの
詳細が記されており。

原田マハさんがエネルギッシュに
生きてきた様子が感じ取れます。

 

小説がたくさんの人に支持されるのも。

これまでさまざまなポジションで
人生経験を積んできたからこそ
かもしれませんね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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