白石加代子の幼少期(昔)が壮絶!?父と母の死を乗り越えて。【ごごナマ】

こんにちは 😛

レクです。

今度12月28日(木)13時05分から『ごごナマ』に女優の白石加代子さんが出演します。

白石加代子さんは、芸能生活50年で お年はもう76歳なのだとか!

まだまだ若々しく健康そうですね。

『ひよっこ』では「あかね荘」の大家・立花富を演じて、個性的な演技でお茶の間での人気者ですよね。

白石さんは舞台を中心に活躍し、

「舞台一本で食べていける女優は白石加代子しかいない」と言われているように、白石さんの公演チケットは即完売してしまうのだとか。

そんな白石加代子さんですが、幼いころにお父様を亡くされ 相当苦労を強いられたそうです。

今回は、白石加代子さんの幼少期、お父様やお母様の事、女優を目指したキッカケなどを調べてみたいと思います。

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白石加代子さんのプロフィール

出典

生年月日:1941年12月9日(76歳)←真珠湾攻撃の翌日です。

出身地:東京都港区

血液型:AB型

最終学歴:麹町学園女子高等学校卒業

職歴:港区役所税務課(22歳で芝区役所に異動します)

26歳の3月に区役所を退職して、創立まもない早稲田小劇場(現・SCOT)に入団します。

入団した当初は、セリフをつっかえたり、動きもぎこちなく「間違って入ってきた」新劇ミーハーだと見られていました。

しかし初舞台の『舌切雀』で見せた雀の舌を万力で引き抜き、狂気の笑い声を上げる老婆の、その凄まじい演技で、白石加代子さんは周囲の度肝を抜きました。

1970年、『劇的なるものをめぐってII』の主演で狂気女優と称されて評判になり、以後、同劇団の看板女優となります。

なんと、白石さんはデビューから狂気女優してたんですね。

狂気のキャリアが違います!

ご主人は元々早稲田小劇場に所属していた 深尾誼(ふかお よしみ)さんです。

 父 仁志郎(にしろう)さんとの思い出

白石さんの父 仁志郎さんは、白石さんが5歳の時に結核でこの世を去っています。

白石さんは4歳年下の妹さんが生まれるまでは、一人っ子としてチヤホヤされ とても可愛がられていました。

兄弟で仁志郎さんの愛情を一番に注がれたのが白石さんだったわけでですね。

白石さんが1歳の時、仁志郎さんは転地療養も兼ねて、静岡県の河津浜にあった逓信省の電信電話中継所の所長になりました。

仁志郎さんと過ごした河津浜の生活は本当に幸せだったと、後に白石さんは語っています。

仁志郎さんは、ゆくゆくは故郷の長崎五島で暮らそうと考えていましたが、その願いは叶うことなくこの世を去ってしまいます。

5歳というと、今でいう幼稚園の年中さんですから、ギリギリ記憶が残っている年齢ですよね。

大好きなお父様が亡くなるという辛い出来事は、その後の白石さんの人生に少なからず影響を与えたんじゃないでしょうか?

そして驚くことに、白石さんはこう決意しました。

 今日から、私がお父ちゃんの代わりだ!

妹は小さいし、もうすぐ赤ちゃんも生まれる、お母さんは頼りないから、今日からお父さんの代わりになる!と白石さんは決意するのです。

5歳の子ですよ!

時代は終戦から1年しか経っていない時の話ですから、今のように便利な家電なんて何もありません。

家事全般を引き受けた白石さんですが、ご飯を炊くのも 勿論炊飯器ではありませんよ。

七輪に火をおこすところから始めるのですから、学校行って ご飯作って、妹と弟をお風呂に入れて・・・遊んでいる時間なんてありませんよね。

お父様の退職金はすぐに底を尽き、母のフサさんは売れるものは全部売りますが、それも尽きてしまいます。

闇米を行商して、警察に捕まったこともあるそうですが、三人の子供を食べさせるためですから手段なんて選べませんよね。

今の時代でもシングルで子育てするのは厳しいのに、戦後インフラが整っていない時代 ということを考えると、今の私達からは想像を絶する辛い毎日だったと思います。

フサさんは、読売ホールの売店の売り子さんをしたり、担ぎ屋をしたり、おでんの屋台を引いたりして三人の子育てをしていたそうです。

傘もなく、ぼろぼろの服を着て惨めさに耐えられない時は、優しかった父をひたすら思いました。

白石さんはこの時のことを、常にひもじかったと語っています。

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 白石さんの子供時代と芝居を始めるきっかけ

白石さんは、気づけば道路で踊ってしまうという落ち着きのない子供だったそうで、それを心配したお母様が、少しでも落ち着くようにと日本舞踊を習わせたというエピソードがあります。

お金がなかったので、短期間だけの習い事だったそうですが、現在の演技の原点となる出来事だったんじゃないでしょうか。

白石さんの最初のお芝居との出会いは、

小学生の時、学校にやって来た児童劇団の芝居を見て、現実を忘れさせてくれる舞台の世界の虜になった白石さん。

家に近所の子を集めてお芝居ごっこをしたのが最初だったといいます。

お父様が亡くなって、突然天国から地獄への生活になり、チヤホヤされていたのが誰にも相手にされなくなった子供時代ですが、中学では主役の一つ目小僧の娘の役に選ばれ 学校の皆から注目されます。

白石さんにとって、辛い日常の心の隙間を埋めてくれたのがお芝居でした。

その後、

女優になる夢を常に持ちながらも、家計のために区役所に勤め始めます。

区役所勤め時代の写真です。

弟の光さんが高校を卒業し、就職が決まった26歳の春に、区役所に辞表を出し 早稲田小劇場(現・SCOT)に入団することとなりました。

現在と違って、当時は家制度が強く根付いていた時代。

長男や長女が家のために、わが身を犠牲にするのは当然という考えが当たり前でした。

話は少しそれますが、「当たり前」「普通」「一般的には」というのは時代時代で変わるものなのですね。

もし白石さんが、現代に同じような境遇に生きたとしたら、同じ選択をするでしょうか?

女優になりたい、お芝居をやりたいという思いは人一倍あったはずです。

「例えば」の話なので、答えはありませんが、どうだったのかなぁ・・・とふと思いました。

白石加代子さん、母フサさんとの別れ

白石さんは、母フサさんとの関係を「戦友」と表現しています。

フサさんは2011年7月に93歳でこの世を去りました。

70代後半から認知症になり、80代後半にショートステイを利用した時に誤嚥性肺炎になり、病院に運ばれます。

気管を切開して人工呼吸器と胃ろうを付ける・・・いわゆる延命処置ってやつですね。

それをするかしないかでご家族の意見が分かれたそうです。

結局、延命処置を行いフサさんは4年近く生き、息を引き取りました。

白石さんは、認知症だったお母様に優しく接することができなかった時期もあり、

「孤独にした」と悔いが残っているそうです。

まとめ

白石さんの幼少期を中心に、なるべく簡潔にまとめましたが如何でしたでしょうか?

現在ビルメンテナンスの会社の経営をし、白石加代子事務所の代表とマネージャーをしている、ご主人の深尾誼さんとは今でもラブラブで、舞台の後は家で白石さんの身体をマッサージしてくれるそうなんです。

ご結婚したのは白石さんが40代後半の時ですが、知り合ったのは早稲田小劇場(現・SCOT)入団当初から。

非常に長い付き合いですから、お互いをリスペクトし合っているんでしょうね。

これからも仲睦まじいご夫婦でいてくださいね。

『ごごナマ』では、白石さんのこだわり手料理も披露されるとか?

楽しみにしています!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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