五輪真弓の現在、結婚した夫と子供の今は?心の友がインドネシアで有名な訳は?

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ミュージシャン

こんにちは 🙂

レクです。

 

「恋人よ~♪
そばにいて~・・・♪」

で有名な五輪真弓さん。

そう、曲名は「恋人よ」です。

 

調べたら、1980年にリリースされた
曲なんですね。

 

30年以上前の歌なのに、
今でもたまに口ずさんでしまいます。

 

最近はあまり、というか殆どテレビで
お見掛けしないので、

五輪真弓さんの現在が気になって
調べてみました。

五輪真弓のプロフィールと経歴


出典

【旧姓・芸名】五輪真弓

【本名】鈴木真弓

【出身地】東京都中野区

【生年月日】1951年1月24日

【年齢】
67歳(2018年9月現在)

 

五輪真弓さんって芸名なのかと
思っていましたが、

結婚する前の本名だったんですね。

 

知りませんでした。

 

何でも、五輪真弓さんの父親の
生まれ故郷が長崎県の五島列島で、

その中の久賀島の五輪地区という場所に
終戦まで暮らしていたそうです。

 

「五輪」という苗字の発祥地ですね。

 

向こうには「五輪」はごくありふれた
苗字で、

五輪姓の墓石はあちこちにあるらしい
ですよ。

 

五輪真弓さんは東京の中野区で生まれ
育ったので周りには

「イツワ」と一発で読める人がおらず、

小学校入学の日、担任の先生に
「ゴワさん」と読まれて凄く
恥ずかしかった思い出があるそうです。

 

こういった思い出っていつまでも
忘れないですよね。

 

結婚してよくある名前代表の「鈴木」
になった時はどんな気持ちだったんで
しょうかね。

 

五輪真弓さんのご家庭の話に
戻りますが、

音楽好きだった父親は、若い頃から
バイオリンやギターを弾き、

教会ではオルガンを弾いていたん
ですって。

 

音楽好きなご両親で、家ではいつも
音楽が流れていたそうです。

 

親が音楽好きだと、子供は影響受け
ますよね。

 

五輪真弓さん自身も中学からギターを
弾いて、
ビートルズにのめりこんでいたんだとか。

 

ちなみにピアノの弾き語りの
イメージもある五輪さんですが、

ピアノはデビュー直前に習い始めたん
だそうですよ。

 

五輪さんはお姉さんと一つ年上の
お兄さんがいらっしゃいますが、

子供の頃お兄さんの声は素晴らしい
ボーイソプラノだということで

ビクター少年合唱団からスカウトされた
経験があります。

 

お金がかかるという事で、その話は
断ったということで、

あらら何とも勿体ない!と思って
しまいましたが。

 

デビュー当時天才少女と言われた
五輪さん。

その天才的な歌声は血筋なのでしょう。
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人生初のステージは?

 

高校1年生の時に3年生を送る会で
体育館のステージで

ジョーン・バエズの「ドンナ・ドンナ
(ドナドナ)」を初めて人前で
歌ったのを皮切りに、

高校2年生で同級生とフォークデュオ・
ファンシーフリーシンガーズを結成。

 

そして高校3年生の時に、
ファンシーフリーシンガーズで

TBSの「セブンツーオー」で
テレビ初出演。

 

高校卒業後は、神田YMCA英語学校に
進学するものの、

集団生活に馴染めず半年で中退。

 

その後は銀座の喫茶店で洋楽を歌って
いましたが、

ニッポン放送「バイタリス、
フォークビレッジ」のオーディション
に合格し、

レコード会社から注目されデビューに
繋がります。

 

21歳の時のデビューアルバム
「五輪真弓 少女」は当時としては
珍しく、

アメリカでレコーディングされました。

 

五輪さんのデモテープに感銘を受けた
アーティスト、
キャロル・キングがレコーディングに
参加したことも話題を呼び、

五輪さんは「和製キャロル・キング」
なんて呼ばれていましたね。

 

そして1978年
「さよならだけは言わないで」が
ヒット。

 

この頃から『夜のヒットスタジオ』や
『ザ・ベストテン』に出演しています。

 

そして、1980年にリリースされた
18枚目のシングル
「恋人よ」がメガヒット!!

 

国内だけでも20人以上の歌手に
カバーされ、

今でも歌い継がれる名曲です。

 

「恋人よ」は同年の第22回
日本レコード大賞金賞を受賞し、

紅白初出場も果たしました。

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五輪真弓が結婚した夫は鈴木宏二で馴れ初めは?

五輪真弓さんは1984年1月に
鈴木宏二さんという方とご結婚され、

3月にパリ郊外の教会で挙式を挙げて
います。

 

「恋人よ」が大ヒットした約4年後の
事ですね。

 

以前、鶴瓶さんのインタビューで
五輪真弓さんが結婚したいきさつに
ついて話していたことがありました。

 

それによると、「恋人よ」のヒットで、
過密スケジュールが続き舞台で
倒れて入院したことが
あったそうで・・・。

 

その時に考えたそうです。

 

このままじゃダメだ~!と。

 

そう思いながらも数か月間過ごし、
その間にジワジワーと出てきた感情。

 

それは、家庭のぬくもりが欲しく
なったり、

妙に子供が可愛らしく
思えてきたり・・・・

 

そんなタイミングで現れたのが
今の旦那さんなんだとか。

 

鶴瓶さん
「え?そこでお医者さんと出会った?」

 

倒れて入院して、そこのお医者さんと?

 

いえいえ、お医者さんではなく、
結婚した旦那さん、鈴木宏二さんは

バックバンドのメンバーで
ピアニストでした。

 

倒れたステージにもいたそうです。

 

元々仕事仲間でしたが五輪真弓さんの
6歳年下で、

初めて出会ったときは旦那さんは24歳。

 

若すぎて最初は恋愛対象ではなかった
のでしょうね。

 

それが結婚相手になるとは!

 

五輪真弓さん32歳、旦那さん26歳の
ときの出来事です。

 

結婚て本当タイミングですよね。

 

五輪さん曰く、
本当に自然なタイミングで結婚に
至ったそうですよ。

 

結婚後は五輪真弓音楽事務所
「ロレイユ」を設立し、

ご主人も次第ににプレーヤーとしての
持ち場を離れ、

ステージ演出、マネージメント、
レコーディング制作などに専念し、

二人三脚で音楽活動を続けています。
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五輪真弓の子供は何人で今は何をしているの?

五輪真弓さんは、結婚の翌年
1985年1月に長男の夢時くんを
授かります。

 

そして、1991年9月に長女を出産。

 

現在お子さん達は33歳と27歳。

 

今は自立して同居はしていない
みたいですね。

 

もしかしたら結婚しているかも
知れませんが特に情報がありません
でした。

 

以前五輪さんは、子供たちを音楽の道に
進ませる気はないと
インタビューに答えていました。

 

五輪さんの育った環境がお互いに
干渉しない個人主義な家庭だったと
いうことですから、

お子さんに対しても個人を尊重した
自由な育て方をされたのかなぁと
思います。

 

無関心という意味ではないですよ。

 

長男が生まれた時は1年半育休を取って
いますし、

1996年後半には育児に専念するため
活動を休止しています。

 

仕事ばかりではなく、子供と向き合う
時間を大切にしてきたのが分かりますね。

 

そういえば、
先ほどの鶴瓶さんとのインタビューで
子供が出来て、

曲作りも変わったというエピソードが
ありました。

 

子供が出来たことで、もう恋の歌は
いいかなぁと思ったそうです。

 

そこで、童謡みたいな曲を
作ろうとしたら上手く書けない。

 

旦那さんに笑われて、
それで出来た曲が

「密会」

 

これって不倫の曲なんですけどね。

 

五輪さんの作った童謡も興味が
ありますが、

「密会」の方が五輪真弓さんらしくて
好きですけどね。

「心の友」がインドネシアで超有名!第二の国歌とも言われている訳?

五輪真弓さんの「心の友」という歌は
ご存知ですか?

 

私は知りませんでした。

 

「心の友」は1982年のアルバム
「潮騒」の中に収めた歌で、

五輪さん曰く、どちらかと言うと
あまり目立たない地味な歌なんだ
そうです。

 

気になってYouTubeで見てみましたが、
確かにドーンとくるような派手さは
ないです。

 

でもジワジワくるの分かります!

 

それが1985年にインドネシアで
大ヒット。

 

この年は五輪真弓さんの長男が
生まれた年で、

五輪さんが育休中の出来事でした。

 

行ったこともないインドネシアで
自身の歌が大ヒットしたことに
大変驚いたそうです。

 

キッカケは、とあるインドネシア人の
ラジオ局関係者が

五輪真弓さんのコンサートを見た
ことから始まります。

 

そこでアルバムを手に入れ、帰国後
番組で曲を流したらインドネシア人の
心をわしづかみ!

 

当時「心の友」を知らない
インドネシア人はいないとまで
言われるほど大ヒットしました。

 

日本語はしゃべれなくても
この歌は歌えるという人もいたそうですよ。

 

あれから30年以上経ちますが、
お母さんがファンだったとか、

子供の頃学校で歌ったなどで、
今でも歌われ続け、第二の国歌と
言われるほど有名になりました。

 

今でもカラオケで歌う人も多いんだとか。

 

何が凄いって、
狙ってなくて自然発生でヒットした
ことが凄くないですか?!

 

本当にいい歌は言葉が分からなくても
心に響くんですね。

 

五輪真弓さんは1987年に出場した
紅白歌合戦で「心の友」を披露して
います。

 

通常紅白は、その年にヒットした歌、
若しくは知名度のある自身の代表曲を
歌うのが通例ですが、

日本ではあまり知られていない
「心の友」を歌ったのは、

やはりインドネシア人に対して
感謝の気持ちがあったからでは
ないでしょうか?

 

「KOKORO NO TOMO」(心の友)が
2005年8月24日に発売されました。

それはインドネシアの人たちとの
大合唱で再録音したもので

2004年に起こったスマトラ沖地震を
キッカケにチャリティCDとして
発売されたものです。

 

「心の友」がどれだけインドネシア人の
心に影響を与えたか分かる出来事でした。
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五輪真弓さんの現在は?

デビュー当時の五輪真弓さんは
インタビューで何を聞いても答えなくて

マスコミからの評判が悪かったそうです。

 

例えば「好きな色は?」と聞かれても
くだらないなぁと思って答えなかったり
とか。

 

そりゃぁ、
インタビューする方もやりにくいわぁ~。

 

そんな五輪さんも今年で67歳。

 

55歳を過ぎたあたりから、柔軟な
考え方ができるようになったとかで、

今はデビュー当時の頑なな印象は
全くありませんね。

 

2007年くらいにストレスで声が
出なくなり、一時活動休止し
病気説も流れましたが、

メディアにはあまり登場しないものの
音楽活動は現在も続けられています。

 

2018年2月3日には加山雄三さんの
80歳を祝うライブに出演していますし、

4月14日にも
南こうせつ&五輪真弓コンサート
“あなたの街へ」に出演しています。

 

2017年8月には最新ベストアルバムを
発売。

デビュー曲の「少女」、「恋人よ」や
「心の友」、

石原裕次郎に提供したという
「思い出さがし」のセルフカバー曲も
収録されていましたよ。

 

子育ても一段落したことですし、
これからはテレビ出演が増えると
嬉しいんですがね。

 

「恋人よ」や「心の友」はもちろん、
他の曲も沢山聞いてみたいです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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